2018年12月28日

モリワキの魂。

■文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

 
 全日本ロードレース選手権最終戦MFJグランプリは、予選日には秋晴れの空が広がっていたが、決勝日は雨模様となった。重たい雲が鈴鹿の上空を覆い、雨粒を落としたり、止めたりしながら、全クラスのタイトル決定戦を翻弄した。恵の雨となった者も、濡れた路面に足元をすくわれた者もいて、ドラマチックな戦いが繰り広げられた。

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 最高峰JSB1000クラスは、2レース開催され、レース1は高橋巧(ホンダ)が雨の戦いを制した。レース2は、雨は止んだが路面はウエット。好スタートを切ったのは高橋巧で、それを中須賀克行(ヤマハ)が追う。そのトップ争いに驚異的なペースでモリワキの清成龍一が追い上げた。
 スタート直後の1コーナーでは9番手だったが、オープニングラップで6番手、2周目には3番手とトップグループに追いつくと、4周目のS字コーナー進入で中須賀を、逆バンクからダンロップコーナーで高橋巧をかわしトップに浮上。
 清成のチームメイトの高橋裕紀はスタート直後のポジション取りではじき出され後退。そこからの追い上げを強いられたが、5周目には12番手から一気に7番手まで上がると10周目には5番手、そして11周目には4番手に上がった。
 こうして清成はファーステストラップをマークして独走優勝を飾った。高橋裕紀は4位でチェッカーを受けた。中須賀克行はレース1で8度目のタイトルを決めていた。その中須賀を突き放し勝利を飾った清成は、大きなガッツポーズで喜びを表した。
 全日本勝利は2007年の最終戦鈴鹿以来で、モリワキでは初優勝だった。
 
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清成にとっては、実に11年振りの全日本優勝だった。そして、モリワキでの初優勝を飾った。


 
 モリワキは森脇護が率いる日本を代表するコンストラクターとして知られている。森脇は、ヨシムラの創業者・故吉村秀雄(1922年~1995年)と出会い、73年にモリワキエンジニアリングを立ち上げた。以来ヨシムラと切磋琢磨し、支え合い日本のモータースポーツシーンを牽引して来た。
 ライダー発掘でも定評のある森脇は、ワイン・ガードナーを始め、数々のライダーを世界へと送り込んで来た。海外進出して数々の功績を遺して来たモリワキが、再び全日本を戦い始めたのが2014年、ロードレース世界選手権(WGP)のトップライダーとして活躍する高橋裕紀を起用した。

 高橋は2013年WGPに発足したチームアジアのMoto2のエースライダーとして戦っていた。マシンはMoto2元年(2010年)にチャンピオンマシンとなったモリワキドリーム600だ。マシンもメカニックもライダーもオールジャパンの構成であったことでも大きな注目を集めたが、高橋はチームの都合で途中解雇となり失意に沈み、引退を決意する。
 その高橋に「一緒にやろう」と声をかけたのが森脇緑だった。父(護)の右腕としてチームを切り盛りする娘の緑と高橋裕紀は「復活」をかけて全日本に乗り込んだのだ。
 
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名門モリワキを率いるのは、森脇 護そして娘の緑だ。


 
 高橋裕紀は「モリワキに骨を埋める覚悟」と、この時、語っている。
 再生に向け走りだした裕紀はMD600でJ-GP2参戦、圧倒的速さでタイトルを獲得。翌年はアジアロードレース選手権に参戦、全日本とアジアでダブルチャンピオンに輝き、ライダーとしての強靭さを内外に示す。
 森脇が大病したこともあり、モリワキの悲願でもある「鈴鹿8時間耐久優勝」を掲げ、2016年に高橋裕紀はJSB1000にステップアップ。翌2017年には長らく海外で活動していた清成を招集し、高橋裕紀との2台体制を敷く。
 清成は、打倒中須賀の本命として、日本の4メーカーが嘱望する逸材だ。ブブリティッシュスーパーバイク(BSB)で3度の王座に輝き、鈴鹿8時間耐久では4勝を挙げている。その清成をモリワキが獲得したのだ。
 森脇は、タイヤメーカーにおいて、ナンバー1チームでありたいとピレリを選択した。アジアでの販売拡大を狙うピレリは、名門モリワキとのコラボレーションを決め「最大限の協力」を申し出ていた。
 清成にはピレリワンメークで戦われているワールドスーパーバイク(WSB)復帰への野望もあり、モリワキもそれを後押しすることを約束していた。それが、清成がモリワキを選んだ理由のひとつでもあった。
 
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骨を埋める覚悟でモリワキにやってきた高橋裕紀。


 
 モリワキの次なるターゲットは、全日本タイトル、鈴鹿8耐勝利。それに向けて高橋裕紀と清成は走りだした。
 高橋裕紀、清成と世界に通用するトップライダーを擁するモリワキは、全日本を戦うライバルたちにとって脅威だった。彼らなら、確実にトップ争いに絡むだろうと誰もが思った。
 だが、ピレリの本格的な全日本参戦は初であり、まったくデータのない中での戦いが始まった。それは想像以上の困難だった。路面とタイヤのベストマッチングを探る作業は、膨大なトライ&エラーを繰り返すことになる。
 2017年シーズン、高橋裕紀は岡山での3位が最高位でランキング9位だった。清成は一度も表彰台に上ることなくランキング11位となる。9年ぶりに復帰した鈴鹿8耐でも27位だった。
 
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2018年の鈴鹿8時間耐久は8位の成績だった。


 
 巻き返しを図るモリワキは2018年オフには海外テストにも出かけ、上々の結果を残して意気揚々と帰国した。
 森脇は「データを見れば、ふたりの走りが中須賀に迫るものだと分かる。上回っている部分もある。その力を示せるように」と願っていた。それが実現すれば、全日本の戦いに、今年こそ一石を投じることになる。
 だが、海外サーキットでは威力を発揮するピレリが、日本ではなかなか、その力を示すことができなかった。困惑の中でも、高橋裕紀も清成も懸命なトライを重ねた。スタッフの献身的なサポートもあり、そのマッチングがうまくいけば、高橋裕紀は岡山国際ではポールポジションを獲得、オートポリスで3位表彰台。清成も開幕戦もてぎでは3位に入っていた。鈴鹿8耐は、豪雨の中を清成がスリックで走り、ドライの路面で高橋裕紀がウェットタイヤと、脅威の走りを貫き6回ピット(通常は7回)を成功させ8位となった。
 
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日本のサーキットではなかなか力を発揮できなかったピレリで戦い抜き、遂に最終戦での勝利を掴んだ(左・清成、右・高橋)。


 
 そして、迎えた最終戦だった。ピレリはインターミディのタイヤを勧め、それが乾いていく難しい路面とベストマッチ、ふたりの本来の走りを引き出すことになった。
「やっと恩返しができた」
 歓喜の中で、清成は安堵のため息をついた。
 高橋裕紀はランキング5位に浮上、清成もランキング8位でシーズンを終えた。勝利の喜びを噛みしめるモリワキのスタッフ達の顔があった。やっと、本来いるべき場所にたどり着いたのだ。

 鈴鹿の戦いを終えた清成はイタリア、ミラノに向かった。MotoGPのマルク・マルケス、ホルヘ・ロレンソらと一緒に、WSBでチームメイトとなるレオン・キャミアと並んで檀上に立っていた。
 チームはモリワキとイタリアのアルテアの共同運営となるようだが、まだ、詳細の発表はない。清成にとっては10年ぶりのWSB復帰となる。
「WSBでやり残したことがある」
 WSB復帰を熱望してきた清成の、その願いがかなったのだ。
 WSB王者として活躍するジョナサン・レイ(カワサキ)はBSB時代の後輩で、清成を兄のように慕っていた。そのレイとの対決への期待が高まっている。モリワキで夢をつかんだ清成の飛躍に世界が注目しているのだ。
 高橋裕紀の今後への発表はまだだが、清成加入で過ごした2年は「お互いに刺激しあって成長できたと思う。その力を示す戦いがしたい」と自身の力を押し上げたと振り返った。
 日本を代表する高橋裕紀と清成龍一の、今後の活躍を願わずにいられない。その挑戦は、常に高い壁を越えようとするモリワキスピリットにあふれている。
 



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