幻立喰・ソ

第104回「なんだ神田」

 
 超弩級の10連休、あそこに行こう、ここにも行こうと思っていたのですが、10日もあると「明日でいいか」とずるずる先延ばし、結局どこにも行かずに気がつけば最終日6日の夜。己の計画性と行動力の欠如を嘆いたのではなく、10日間も退屈することなくぼーっと過ごせたとことに感心しました。おかげでお金も体力も使わなかったので、お金はともかく体力はムダに余っております。でも暴れたりしませんからご安心を(あたりまえ)。
 もちろんみなさまにおかれましては、幕を開けた令和元年、有意義な時間を過ごされたことと慶賀の至りでございます。

 というわけで、平成最後、令和最初の立喰・ソも特に意識することもなく、なし崩し的に今日に至るわけです。おっと、間違えた。なし崩しは、なあなあにしてしまうみたいな使い方をしますが、本当の意味知っていますか? 「少しづつ借金を返済していくこと」が本来の意味で、「こつこつと物事を成し遂げる」ことなんだそうです。これも連休中にぼーっとラジオを聞いていたおかげで得られた知識です。ぼーっと生きているから得られる知識もあるんです、チコちゃん。
 しかし、「借金はなし崩しでいいですね」と本来の意味で言われても、「了解で〜す」というのはかなり勇気がいることで、今月もなし崩しに話を進めて参ります。
 前回の立喰・ソNEWS2019でお伝えした神田の謎の立喰・ソが今回の主役です。立喰・ソNEWSなのに、そもそもNEWSになっていないという的確なご指摘は真摯に受け止めるとして、NEWSの語源を「North、East、West、South」(東西南北の意)の頭文字と思っている方も結構いらっしゃるでしょう。これも間違いだそうです。ぼーっとテレビを見ているだけで少し賢くなったような気がしますが、語源は? と聞かれてもそこは覚えていません。やはり、ぼーっとしているだけではだめなようですね、チコちゃん。





せっかく師匠に教えていただいたので行ってきました。上(2005年2月撮影)と比べてみれば、外観は大きく変わっていますが、標識の位置や階段から察するに、ここで間違いないでしょう。もちろん記憶はまったく蘇りませんでした。(2019年5月撮影)

 
 ぼーっとしているボンクラ弟子でも、師匠は前回の駄コラムもしっかり見ていただけたようで、「あの店は神田駅北口の通りを渡ったところにあった」と教えてくれました。さらに、「そばはまずかったけどカレーだけうまかった」と追加情報も。ちゃんと訪問済みなんですね。さすがは師匠! 

「で、師匠、なんという立喰・ソだったんですか?」「ううううん」
 しばらくして
「名前のない店だ」
 え? 
 
 それを最後に師匠からの音信は途絶えたままです。「たまには自分で調べんかい!」という師匠からの叱咤激励でしょう(と、思いたいです)。

 連休も明けたことですし、調べました。といってもネットで「神田 立ち食いそば 閉店」と検索しただけです。ところで、ネットのない昭和時代はどうやって調べ物をしていたのでしょう? これまたまったく思い出せません。世の中便利になると人は堕落するのです(責任転嫁)。



神田駅周辺ではないものの神田でヒットしたのは、水道橋駅前の「神田家」(2005年2月撮影)と、仙台駅前の「そばの神田 東一屋 駅前店」(2017年9月撮影)。神田家は2012年頃小諸そばに、駅前店は2018年2月、ほぼトイメンに移転して駅前南町通り店となって営業中です。


神田ではないのですが、秋葉原がやっちゃ場(青果市場)と貨物駅の町だった時代の雰囲気を残していた「かんだ食堂」もヒット。昭和から平成初期まで、ろくな飲食店がないことで有名だった秋葉原で、一杯呑めるし、定食もうまいし、ずいぶんおせわになったシブイ食堂でした。(2007年11月撮影) 立喰・ソではないのですが、神田といえばガード下の名店「升亀」(2013年12月閉店)も忘れられません。満員でも隣の大越(2016年12月閉店)は比較的入れましたので、D印刷のMさんとよくハシゴしました。現在升亀のスタッフが一亀という居酒屋を岩本町でやってます。

 
 結果、惜しまれつつ閉店したかの名店神田そばを筆頭に、はせ川、あすわ、やまと、梅や、田毎、最近閉店したつぼみ家や縁。さらに水道橋駅前にあった神田家や、遙か仙台駅前のそばの神田東一屋駅前店と多数ヒットしましたが、かんじんな謎の立喰・ソは出てきません。普段ならこの時点で「そもそも名前もわからない、時期もわからないんじゃ検索しようがないですよね〜終了」と、きれいさっぱりあきらめるのですが……師匠の鼻を明かすべくもうちょっと頑張ってみようと、あれこれ検索すると、とある方のサイトでついに写真を発見。師匠を越える日が来た! 令和は俺の新時代だ! と力みつつ眺めてみたら、なんとまあ「店名不詳」ですと……。

「ポキッ」と心が折れる音が聞こえました。師匠さえ名前を失念? してしまうくらいなのですから、私ごときに解明できるはずもないんです。師匠を越えるのは令和の次の時代です。(それまで生きているとは思えませんが)。
 
 これではあまりに安直すぎるので、なつかしの神田界隈にあった幻立喰・ソ・ウの在りし日を眺めて、溜飲を下げてやっていただけませんでしょうか。こんなわたしと幻立喰・ソですが、令和もひとつよろしくお願いいたします。



ビジネス街で人通りも多い神田駅の周辺は、現在も立喰・ソ密集地帯ですが、かつてはもっとたくさんありました。NRE系の「大江戸そば」(2006年7月撮影・2011年頃?閉店)と、今や秋葉原の新田毎を残し絶滅種の「田毎」(2007年2月撮影・2011年?閉店)は神田駅の構内にありました。


本格派こだわりの生そばの「はせ川」(2006年7月撮影・2006年冬頃閉店)は現在吉そばに。「神田あすわ」(2013年6月撮影・2014年4月閉店)は関東では珍しい越前そばを提供していた。


ふくじゅ?→(ガード下とは別の)神田そばと変わった「立科」(2007年6月撮影・2012年9月?閉店)。その後に入ったのは「十割一休Soba」(2013年6月撮影・2012年11月開店)。地理的には神田駅より小川町駅のほうが近かった。


未食で終わってしまった「やまと」(2015年3月撮影・2015年冬頃閉店)。夜は呑み屋になる二毛作店の「梅や」(2016年8月撮影・2018年夏頃閉店)。


つい最近できたと喜んでいたら、短期間で閉店してしまった「縁」(2018年7月撮影・2018年9月閉店)と、人気店だったのに賃貸契約の問題で閉店してしまった「つぼみ家 神田店」(2017年4月撮影・2019年3月閉店)。


今や希少種の「梅もと」(2005年12月撮影・閉店時期不明)、当時はあちこちにあったので未食で放置してしまった。ちょっと離れていた「松そば」(2007年6月撮影・閉店時期不明)も未食。


東京名物+本場の味というおちゃめなうどん専門の「さぬき屋」(2007年6月撮影)。さぬき屋の後もうどん専門の「ゆず屋」(2011年11月撮影・閉店時期不明)になり、現在は名代富士そばに。


神田幻立喰・ソの代表といえば、もちろんガード下にあった「神田そば」。優しいおとうさんとおかあさんが作ってくれるソは、身も心も癒やされる、滋味あふれる一杯でした。まさに「昭和は遠く、なりにけり」。(2015年頃閉店・2012年5月撮影)

●幻立喰NEWS2019
平成最後の、令和最初の……

平成のラスト幻立喰・ソ、はGWを前に一旦閉店した三崎町のとんがらしでしょうか。大将、おかあさん、おつかれさまでした。無事に後継者も出来たようで、令和最初に開店する立喰・ソになるのでしょうか。先代の熟練の技をそのまま再現することは難しいと思いますが、末永くがんばっていただきたいです。で、平成から元号が令和に改まったばかりで縁起でもないのですが、始まる立喰・ソがあれば終わる幻立喰・ソもあるわけで……令和最初の幻立喰・ソは……それは立喰・ソ神のみが知ることで……す。



バソ
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。やっと1000店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べるだけで、たいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。


[|第104回|]
[幻立喰・ソへ]
[へ]