RIDE AFRICA TWIN INTERNATIONAL 2017──後編 アフリカツイン、北へ。予報通りの雨にたたられる9人。

●文−松井 勉

●撮影ーライドアフリカツイン実行委員会・ローレンス・ハッキング

ライドアフリカツイン・インターナショナル2017のDay 2を迎えたニセコは、予報通りの雨だった。絶好の北海道日和ではないものの、日高へと向かうこの日、さっそく出発前からトラブルシューティングを問うゲームから始まったのである。

 大きなウッドデッキのあるドミトリーではせわしなく出発の準備が進んでいた。ツアラテック製のカラフルな防水バッグに詰めた荷物は、無情にもピックアップの荷台でその機能を確かめられることになる。外は雨だ。僕達は身軽に走りを楽しめるわけだが、この日の天気予報に防水バッグのようなカラフルさは微塵も無い。空はモノクローム。雨の1日が始まった。

 広い北海道、どこかで晴れ間に会える、なんて前向きな気分になれないのは、今日向かう日高町もそこへの道程も終日雨予報だからだ。

「出発前に一つゲームをします。アフリカツインを使ったトラブルシューティングで修復までの時間を競って貰います。何ヶ所かこちらでアフリカツインを通常状態とは異なる状況にしておきます。それをチームで見つけ、走行できる状態にもどしてもらいます」

 ルールはシンプル。Day2 最初のゲームで使えるのは車載工具のみ。

 昨日のトップチームから開始される。ドミトリー室内で待つ他のチームには当然ながら様子は見えない。どこをどうされているのか……。

 僕達チーム・グリズリーは3番手。3人で相談する。車載工具で修復できる、つまり難しいコトではないはず。リアホイールを外してあるのか? いや、戻ってきたメンバーの手を見るとそれほど汚れていない。とにかくトラブルを素早く探すことを念頭に考えた。まず、イグニッションオンで電装系が生きているか確認しよう。バッテリーターミナルか、ヒューズではないか。また、どこかのボルトがはずされているのでないか──などである。

 順番が来た。裕太さん、ローレンスさんとともにドアを開け外に出る。同時に雨と土、草の匂いがした。ゲームをする現場にはカバーを掛けられたアフリカツイン。ゲームを指揮するオフィシャルは、
「何ヶ所あるのか。それも報告して下さい。修復出来るまでの時間で順位を決めます」
 そう言うと、アフリカツインからカバーを外した。パっと見、ミラーが左右逆向きについていることが解った。そして車体を一周。ナンバープレートを固定するボルトが片方外れ、プレートが斜めになっている。そして、イグニッションを捻る。無反応。電装系だ。

 さ、直そう。ここで大切なポイントがある。アフリカツインの車載工具を取り出すための第一歩、それはまずシートを外し、そこに仕舞われているヘキサゴンレンチを取り出すこと。そのレンチを使い、車載工具が収納されているホルダーのカバーを固定するヘックス頭のボルトを取り外す。つまり、シート下にある一つめの車載工具を使わないと車載工具本体が納まるストレージにアクセス出来ないのだ。
 裕太さんはすかさずキーを掴み即座にシートを外す。同時に電装系のコネクターが外れていないかもチェック。シート下ではない。車載工具を取り出し工具収納スペースの奥にバッテリーがある。そこが怪しい。3人は手分けをした。

 ローレンスさんはミラー、僕がナンバープレート、そして裕太さんはそのままバッテリーだ。使う工具も分担し作業をする。6分30台。トップ抜けしたチームは5分台。僕達は2位だった。ハイタッチ!



Day2朝に行われたトラブルシューティングゲーム。ナンバープレート、ミラー、そしてバッテリーターミナルを接続する。傍らに立つのはオフィシャルの平地さん。水谷さん、ビンセントがミラーを、大和さんがナンバープレートの作業をする。 ドミトリー内でゲームの出番を待つ面々。どこだろう? 終わったチームは「まさかあそこが外れているとは思わなかった」「アレで走っていたら相当にヤバイ」など、情報操作中だ。


さあ、僕達のゲーム開始。カバーを外された瞬間からスタート。一体、トラブルはどこに! ミラーと、ナンバーと、イグニッションが入らない! 裕太さん、指示出し中。


すでにゲームを終えたビンセントは動画を撮影中。毎日、イベントの動画を撮影、編集し、夜にはYouTube()にアップしていた。 作業、完了! わるくないんじゃない? タイムとチームワークを自画自賛。

いざ、日高へ。

 日高に向かう前、雨の影響でルート上に設定されていたモトクロスコースを使ったゲームはキャンセルするとのアナウンス。ひだか高原荘が今日のビバーグ地。そこを直接目指せ、と指示される。渡されたGPSポイントは「殆ど直行ルートの緯度経度を入れたもの」と言われ、それならば、ひだか高原荘を直接ナビに入れ、走行開始。

 ニセコから支笏湖の南側を走る。原生林の中を行く道。雨は強い。途中、ローレンスさんが数少ない信号で止まった時、こう言ってきた。
「新しいカッパが欲しいんだ。もう一着ね」
 原生林の中を抜ける国道で僕らを先導したのは盛大に水しぶきを上げる大型トラックだった。ペースは遅くないが、対向車も頻繁でなかなか追い越しのチャンスもない。ニセコから2時間ちょっと走り、苫小牧へ。なんだか、急に町に着いたようで嬉しい。国道沿いにあるセイコーマート(コンビニ)に入って一休みする。ローレンスさんは温かく甘い缶コーヒーを両手で包み込むように飲んだ。そう、雨でふやけた手はすっかりかじかんだ。僕は近所にバイクショップが無いかを尋ねた。
「この先の右側にそれらしいのがあったような……」
 ちょっと曖昧だが、店員さん情報だ。きっとあるだろう。進行方向でもある。が、裕太さんとローレンスさんにひとまずコンビニで待っていてもらい、店を探しに出た。結局、片道10キロ(といっても北海道のペースだと10分ちょっと)走ったが、バイク関連のそれらしい店は見つからずコンビニに戻る。それならば、と数キロ戻ったホームセンターに行く。そこには雨具が多く揃っていた。

「まるで飛行機の誘導員みたいだろ!」
 ローレンスさんはイタズラっぽい目をしてジャケットの上半分がネオンイエロー、胸から下がブルーという一番目立つ色合いの合羽を手にとった。バイクに戻り、それを着るや両手にしゃもじのような道具を持ち、着陸した飛行機をブリッジの定位置へと誘導するグランドスタッフのマネをする。
 ニセコを出てそこまで着ていたジャケットやパンツも「全部濡れているよ」と肩をすくめ笑う。20度以下。雨、移動速度の速い北海道。カナダも寒い、とはいえ、強靱な63歳に驚くばかり。

 時折強く降る雨。200キロを走ってひだか高原荘にたどり着いたのは午後2時過ぎ。隣接する日高国際スキー場のゲレンデの下に僕達のホスピタリティーテントが待っていた。今日のランチも温かい物が用意されている。

 絞ると水がしたたるほどのグローブ、ヘルメットも濡れている。僕達はランチが出来るまで椅子に深く座り、体温が上がるのを待った。ビンセントは自分の靴下を乾かすため、火のついたコンロの網に並べた。程なく強烈な匂いを出しながら靴下は湯気を出した。すっかり無口になっていたみんなが一斉に笑った。
 ローレンスさんは「オンセンに入って来たいんだ。少しだけウォームアップしてきたい。すぐに戻るけど、次のゲームは何時に始まるのか知っているかい?」

 程なくして今日のゲームが路面不良とずぶ濡れの僕達を配慮して明日に延期、夜に大雨になる予報を受け、キャンプの予定は目の前にあるひだか高原荘の大広間でのごろ寝に変更、とアナウンスがあった。

 ゲレンデから吹き下ろす風は濡れた体には冷たく感じたが、厚く切られた肉のステーキとサラダ、スープなど、暖かいランチを食べるうちに指先にまで体温が戻ってきた。なにより、そうした食事を用意してくれるスタッフの心遣いが嬉しい。ランチ後、大広間に入る。折角なので支給された新品テントを立てる人、マットとシュラフ、自分のバッグで陣地を築く人、それぞれだ。

 誰かが濡れたブーツをドライヤーで乾かし始めた。大広間の入口だけ、濡れたブーツが放つこれまた侮れないほどの強度をもつ異臭で満たされていた。息を止めて通るほどだ。

 その夜、僕達は日高町の日本橋という鮨屋でディナーをとる。これが美味かった。ローレンスさんは「キュウリを巻いたのを食べたい」と言う。かっぱだ。河童と合羽を掛けて何かを話そうか、と面白いコトを考えたが、英語でまとめるのが難しく、話はボツになった。

 しばらくして桶に入ったかっぱが運ばれた。そして誰かが追加のわさびをオーダーした。ローレンスさんはその山盛りのワサビを自分の小皿に半分ぐらいがばっと盛りつけ醤油で溶いた。
 溶いた、といっても溶けかけたソフトクリームのような粘度だ。それをにぎりにズバッとのせ、美味しそうに食べる。見ているこっちのほうがわさびで涙が出そう。色々な意味で凄い人、なのです。

 ひだか高原荘は「日高2デイズエンデューロ」のスタート地点としてファンにはお馴染みの場所。ローレンスさんも参加経験があるそうだ。80年代のKTMのエンデューロバイクが飾られたロビーであれこれと話しが止まらず、夜は更けた。部屋に戻りテントが設営された大広間には不思議にアウトドアのようなムードで、部屋中央に車座に座り、またもや話しに盛り上がりになった。


日高国際スキー場のゲレンデ下に集結したアフリカツイン。天気は好転しそうで結局、僅かな時間、止むにとどまった。


日高で待っていたランチ用の肉。この日はステーキだった。このあと、炭火でじっくりとグリルされることに。 ランチは時間を掛けてじっくりと用意された。おそらく9名だったプレ開催の今回はそれが出来たが、次回以降、このスタイルをどのように醸すのか。たのしみでもある。


グリルドマッシュルームがこんなに美味しいとは。何の気なしに乗っているトウキビがこれまた絶品に美味いのだ。やるぜ、北海道。実は肉がサイドディッシュだったのかもしれない。 焼けたけど、どう、靴下? ムードメーカー、ビンセントはいつでも回りを笑顔にする。


みんなの着込み具合から体感温度を想像して下さい。それでもしっかりと雨はしのげるし、美味しいランチはいただけるし、で最高のアウトドアレストランだった。 この日、ひだか高原荘の大広間が僕達のビバーク地になった。新品のテントだから成せる技。マットやシュラフ、コールマン製品はここで活躍した。


そして濡れたものがオンパレードになった。 そして強烈なニオイの出入り口(笑)これには参った。

Day 3 最北を目指す。

 その夜の雨は凄かった。雨粒が叩く音で目が覚めるほどだった。大広間が薄明るくなる頃、ようやく収まり、再びウトウトする。が、今日は7時に朝食、7時45分にはゲームが開始される。インドアで使ったコールマンのテント、マットを撤収。眠い目をこすって出発の準備をする。手作りサンドイッチの朝食を頬張り、コーヒーで目を醒ます。

 この日最初のゲームはスラロームだ。テールキャリアに取りつけたタイダウン、その先には自動車の古タイヤが結んである。そのタイヤをアフリカツインで牽きながら2本のパイロンの間を通す、というスラロームだ。チーム3名がリレーし、2番手以降のライダーは、前走者からバトン代わりにくくりつけてあったロープを外し、自分のバイクにタイダウンを付け替える。もちろん、ストップウォッチはその間もとまらない。スタートから3人の合算タイムで順位を決める、というのも。

 リアキャリアに結んだタイダウンでタイヤを引っ張り、パイロン間を通すようにアフリカツインを走らせる。ゲレンデは草地。斜度や路面はさほど起伏もないが、初日よりもさらにスリッピー。走ると草と泥が後輪から舞い上がるが、バイクは思うように進まず、上りではスタック気味になる。下りで速度は乗るが、減速が難しい。それに引っ張ったタイヤをコントロールするのは意外に難しい。タイダウンを弛ませてしまうと、次にピンと張った瞬間にタイヤがポンと跳ねてしまう。スムーズに路面を滑らせたほうがパイロン間を通すのが簡単なのだ。

 バイクがパイロン間を通過する必要はなく、タイヤだけだ。それで僕は欲を出し、結果的に二回もパイロンタッチをやらかしてしまった。

 でもこれ、面白い。ゴールのパイロンを通過したらバイクからタイダウンを外し、スタート地点にいる次のアフリカツインに結び付ける。運動会の障害物競走とリレーを足したようなもの。ライダーはバイクに、前走ライダーともう一人のライダーが「じゃ、リアキャリアへの着脱を、キミはタイヤをこっちに回してロープを伸ばしておく……」などと役割を分担する。

 
 面白いゲームを済ませ、僕達は10時前には日高を後にした。



Day3の朝、行われたタイヤ牽引スラローム。今はルールを説明中。スタート前、牽引ロープに結んだタイヤと、キャリアに結ぶ小さいベルトはこの位置に置かれる。スタートの合図とともに、ライダー以外の二名が先頭車のリアキャリアにロープを結び……。 そしてスタート!


しかし、名手、三橋淳を持ってしても濡れたグラストラックはあれれ! と言うほど滑る。バイクの向きが変わっても、タイヤの向きはさくっとは変わらない。 ステファニーもクレバーにゲームをこなす。慎重で雑味のない運転で、着実にパイロン間を通す技を見せた。


1走のフィニッシュ。最後のパイロンを睨みながら、タイヤをチラリ。タイヤがフィニッシュパイロンをくぐった地点でストップ。ロープとタイヤを次のバイクに移す。これもタイムに加算されるから、手際の良さが必要。 2チーム目。待っている方が緊張感が高まる。経験豊富な人でもあまりやったことがないゲームだからだ。


宮城の大和さん。パイロンの先端で狭いほうからタイヤを通す。直線的に行かれるとよいのだが、曲がりながら入れるのは難しかった。 チーム2走目の大和さんがロープをリアキャリアに、タイヤを持っているのがチームで1走を務めた水谷太郎さん。走り出すのはビンセントだ。


2チームが終わって、それぞれの満足感。


僕達のチームは裕太さんからスタート。キャリアに結んでいるのがローレンスさん。 速度は低いが難易度があり、けっこう息が弾む。ローレンスさんと僕もベストを尽くした。

目標点はケーブ・当麻!

 今日もGPSの座標をもとに移動をする。ゴールの宗谷岬まではGoogleマップで最短ルートを検索しても350キロ以上。僕達はこれから寄り道をしながら進む。先は長い。

 次に僕達が目指したのは──、
 N43°49′21.205″ E142°36′26.035″
 Cave Tomaと記されたGPSポイントだ。ここが次なるゲームポイント。移動はスマホのGoogleマップやナビに緯度経度を打ち込み示された場所を目指す。日高の町外れでガソリンを補給し国道237号で北上を開始した。目指すは当麻鍾乳洞、らしい。

 途中、また雨が降ってきた。占冠の道の駅で僕達、チーム・グリズリーは合羽を着ることに。そこで小さな奇跡が起こった。
「あの車、VWバスの色に似ているね。知っているかい?」
 そう切り出したのはローレンスさんだ。
 合羽を着ながら入ってくる車を眺めていると、アイボリーとグリーンのカラーリングの軽自動車が一台入って来た。
「ああ、VWタイプ2のこと?」
「そう。エンジニアだった父親が新車の車として最初に買ったのがVWバスだったんだ。薄いグリーンとホワイトの2トーンの1967年モデル。その車に初めてあったのは、父親の仕事で家族が暮らしていたインドだったんだ。今のムンバイ、当時のボンベイ。タジ・マハール・パレス・ホテルの前だった。ドイツのハンブルグから一ヶ月以上も貨物船に揺られてやってきたんだ」

 ローレンスさんの父親、ロバート・ビンセント・ハッキングさんは、埃の多いインドの道を想定して、エレメント式のエアフィルターではなく、砂漠でも使えそうなオイルバス式のエアクリーナーをオーダーしたという。ローレンスさんの話は続く。

「そのVWバスで僕は運転を覚えて、事故を初めて経験したのもその車だった。一時停止を無視した車がつっこんできたんだ。インドの仕事が終わってカナダの自宅にももちろん一緒に連れて帰ったよ。大学時代になると父親が僕にVWバスを譲ってくれたんだ。あちこちに出かけたね。ヒッピーバスのようにボディーをイエローに塗り替えたよ。でも、冬が寒いカナダでは、空冷エンジンのVWバスはヒーターがあまり効かないんだ。それがあまりに辛くて手放してしまったんだ」

 思い出を巡る旅をするような話だった。そして続く。
「20数年の時が流れ、そのVWバスがとても懐かしく思えたんだ。今、どうしているだろう、と。ネットで探していたら、イエローのバスが検索に引っかかったんだ。よく見ると当時貼ったステッカーもそのまま。あのバスだ、間違い無い。2日間車を運転して見に行ったよ。錆びだらけ、屋根に車が横転したような跡もついていた。ウインドウも割れた酷い状態だったけど、間違い無くウチのバスだった。それを買い取り、トレーラーに載せて持ち帰ったんだ。それからオリジナルのようにレストアを開始。
 長い時を経て戻ってきた。だからブーメラン・バスと呼んでいるんだ。だからあのグリーンとホワイトを見たら思いだして」

 クルマと人を繋ぐ深い話だ。クルマが家族の一員のようだった時代。今も多かれ少なかれそうかもしれないが、まるで絵本のようなストーリーだ。そのクルマはこんな色なの? 僕は指さした。僕にはそのクルマが停まっているのがずっと見えていたが、振り向いたローレンスさんは驚いた。
「ワオ! VWバスだ!」と声を上げる。
 このタイミングでこのクルマ。これもブーメラン・バスが起こす奇跡の一つなのだろうか。
 当時の西ドイツで生産され、インドに長い航海をして運ばれたVWバス。少年時代、ローレンスさんたちはバスと共に暮らし、成長の途上長い別れも経験した。そして時を経て劇的とも言える再会のあと、再びローレンスさんと昔の姿で暮らしている。クルマも人も人生って、冒険だ。



インドで暮らしていたときのツートーンのVWバス。


ブーメラン・バス
占冠での奇跡の一枚。ローレンスさんはさっそく自身のFacebookに上げていた。そのスクリーンショット。 20数年振りに奇跡的に出会い手許に戻って来た。だからブーメラン・バスと呼んでいる。

最短距離で目的地に向かえ。

 占冠から北上を続け富良野、美瑛を抜けた。国道はクルマが多いので、ちょっと裏道を抜け、千望峠から雨の丘陵をながめ、先を急いだ。
 GPSポイントは当麻鍾乳洞の駐車場の外れだった。そこからゲームスタート。GPSポイントを通りながらランチスポットとなるアンガス・ランチという牧場まで走る距離を競うゲーム。途中、分岐の多い林道を走り、そのレストランまでスタートから最短距離で到達したチームが勝ち、というもの。

 3名で走り、距離をカウントするのは1台。つまり、あとの2台は分岐毎にどちらが正しいのかを見極めるために探査をしながら進む。そんなゲームだ。時間差を置いてスタート。スタートから僕のZUMO660は打ち込んだGPSポイントへのルートを案内してくれた。林道の入口から裕太さんが先頭に立ち、正しいルートを探すことにした。

 インカムで会話をしながら進む。「こっち見てきます」「あ、裕太さん、まだナビが次のポイントまで案内をしているからこのままメインルートをいきましょう」と言う具合だ。広葉樹に囲まれた林道。空のグレーを透かした白樺の葉が綺麗な緑で道を照らす。

 GPSポイントのSmall Bridgeまではバイク用ナビが道案内をしたが、その先、僕のナビには道が画面上に存在しない。が、目の前には道が存在する。さ、裕太さんとGoogleマップ、そしてローレンスさんの出番だ。

 先行チームは「こっちだ!」とばかりに曲がり角毎に強烈な轍を残している。が、その多くは罠で、濡れた林道には戻ってきたタイヤのかすかな跡や、アクセルターンをして間違えた! こっちじゃないぞ、との困惑を引き出す演出をしながら、もう一回Uターンをしている様子が残っていた。みんな戦略的だなぁ!

 距離計測をする僕のアフリカツインだけ曲がり毎に止まる。無駄に走らないためだ。ローレンスさんは「僕が先に走って対向が無いか見るから、ベンは出来るだけインランを走るんだ。これだけツイスティな道だと数百メートル違うはずだから」とコンベンショナルな手法で僕達もベストを尽くす。

 
 Y字だ。上りと下り。さあ、どっち? 裕太さんが上を見に行く。ゴールとなるレストランの位置を考えると、そろそろ山を下るはず。そんな予想のもと走ると、先行グループの轍が消えて行く。途中からナビ画面に道が戻り、レストランのGPSポイントを入れると、コチラです、と案内し始めた。

 いや、もしかするともっとショートカットルートがあるのかも。そんな思いとどこで折り合いをつけるか。

 結局そのままアスファルトの道に出るGPSポイントのTrail Exitまでやって来た。合ってたね。ホッとした。そこからは舗装路でレストランを目指す。インベタを通りつつ。結果的に……。僕達は3位だった。ま、いいか。

 ランチは上川、大雪アンガス牧場に隣接したフラテッロ・ディ・ミクニだった。昨日までのアウトドアで羽根を伸ばす三つ星レストランとは違って、こちらはセットされたフォークやナイフを外から順に使って料理を頂くかしこまったレストラン。ブーツがピカピカの床をよごさないよう気を遣った。しかし、そのレストランからの眺めは最高だった。供された料理はフレンチイタリアン。サラダ、スープ、パスタ、メインディッシュ、そしてデザートにエスプレッソ。最後に濃いのをキュっといって、上質な時間を締めくくった。意外と時間が経過したが、ゴールをめがけ北上を再開する。

 当初、宗谷岬を回り、稚内でのホテルへ、というルートだったが、日のあるうちに宗谷岬にたどり着けない計算となり、明日の朝に最北端を回ることになった。僕達は直接稚内を目指す。国道40号に出てから北に進むにつれ風景は広くしかし気温が低くなる。それでも途中通った町では夏祭りが行われ、道の駅では和太鼓を奏でる集団が勇壮に腕をふるっていた。そんな偶然を楽しみながら、稚内に到着する小一時間前にすっかり日が落ちた。

 バイパスのような道、暗いが良いペースで進み、稚内の市街地の外れに出る。海の匂いがする。道は広く、国道沿いには大きな駐車場を構えたフランチャイズの店が点在する。稚内はそれまでの町に比べると圧倒的に大きい。北海道の大きさを実感するが、今日、これくらいの規模の町を見たのは旭川周辺が最後。何時間も経て再び大きな町に出会った。

 そして到着後、最後のゲームが待っていた。題してコミュニケーションゲーム。チームメイトのフルネーム、年齢等、を一人一人口頭で質問された。どれだけお互いに話しをしていたいか、という設問だ。

 実はそれに備えて家族の名前、飼っている犬の名前等々、もっと枠を広げてお互いに話しあっていた。テストの山は外れたが、それはそれで理解を深めることになった。僕達のチームはほぼ満点。涼しい稚内のホテルの前には夏を楽しむバイク達が多く停まっていた。偶然にも知り合いのバイクショップのツーリング団だった。世界は狭い。

 その夜、僕達は和食のレストランで晩餐を共にした。たった数日間。距離だって北海道スケールで言えばそうは長くない。でも、こうしてアフリカツインを通じてすっかり打ち解け仲間になった。走りを楽しみ、チームで協力し前に進む。ニセコがスタートでゴールが稚内。それも面白かった。イベントが終わっても、全然終わった感がない。だって、稚内だよ、ここ。ここから帰るのが一番のゲームだ。

「皆さん、明日は8時半にはホテルを出て宗谷岬のゴールに向かいます」

 そう、暗くて撮れない写真を撮りに行くのだ。明日、最北端でフィニッシュ。現地解散。なんとも面白い。
 こうしてライドアフリカツイン・インターナショナル2017は幕を閉じた。翌日もやっぱり終わった感はない。だって、正真正銘、最北端だし。無事帰る、というおまじないを何度もしてから走り出す必要があるし、ここまでがプロローグで、ここから自宅までが本当の意味でライドアフリカツイン・インターナショナルのスタートのような気がした。
 いったい、来年、どんなカタチになるのか。今から楽しみだ。



ああ、天気さえよければ。でも雨でも楽しい。それがアドベンチャーバイク。それがアフリカツインなのだ。 こうした写真にもチームワークが密になっている様子がうかがえる。三日目、ランチ後の撮影ポイントにて。

広大な畑を抜けるダートロードにて。


北上する道の駅で和太鼓のパフォーマンスに出会う。 稚内の朝。最後まで太陽には見放されていた。

ローレンスさん、かく語りき──by Lawrence Hacking.

 第一回のライドアフリカツイン・インターナショナルはとても上手くオーガナイズされ楽しいものだった。私にとって日本へ行くこと、それは今回も、これまでも互いの素晴らしくも異なる文化を越える旅でもあり、人と出会い、未知の道を走り、文化を知ること。それはどれも特別な体験でした。皆さんがカナダに来たら、同様の体験をするにちがいありません。
 カナダ人は比較的礼儀正しく思いやりがあると思っています。日本人はそれにも増して親切です。そこが私を魅了します。

 
 子どもの頃、誰かに親切を受けるなどしたら「すいません」「どうぞ」「ありがとうございます」そして、「どういたしまして」と言うように教えられました。今の特に若い人は感謝された時「どういたしまして」という場面で、「ノープロブレム」と返す。これはちょっと無礼かと思う私は古いタイプのカナダ人です。

 
 日本を旅すれば日常のなかでの礼儀正しさから、争いなどを生まないことが解ります。それは日本人が相手に敬意を持ち、礼儀正しさが日本人の日常からストレスを低減させているからだと思います。

 
 1968年、私は初めてのバイク、初代スーパーカブC100を手に入れました。それはまた、日本製品の扱いやすさに驚くことになった最初でもありました。それ以来、私は仕事としても多くの日本製品、日本車の評価をしてきました。そこで面白いことに気が付いたのです。日本人がどのように直感的に操作出来るよう設計をするのか。その根底にあることこそ、日本人が持つ周囲への注意深さ、その哲学こそがこうした製品を生み出す根底にあるものだ。私はそう信じているのです。

 
 さあ、本題に入りましょう。初開催となるライドアフリカツイン・インターナショナルは北海道で行われました。道は快適で多くのワインディングがあり、風光明媚な土地を通り抜けます。温泉にも癒されました。
 この4日間のライディングの移動距離は申し分なく、日々のチャレンジはよく考えられ、そのバリエーション、難易度ともにまさにぴったりのものだったと言えるでしょう。宿泊に関しても、ちょっと豪華だったり、時には冒険的でした。どれも正に程よいものでした。私はキャンプすることも好きですが、雨によりオーガナイザーは予定を変え、我々をホテルの大広間に入れてくれました。その中にテントを張る、という体験も出来ましたし!

  
 会期中の食事、レストランもとても良かった。それ以上に、主催者と参加者との友情と連帯感が食事の時間を通じて醸成されたのもこのイベントのマジックだったといえるでしょう。夕食を共にし、ビールを一杯やりながら一日を振り返ると、日々の行程の中、難しい状況を乗り越えた者同士はより結束し、友情もさらに深まったのです。

 
 その後、お互いは遠く離れた自宅からSNSなどを通じてイベントでの笑いや物語など、素晴らしかった思い出をシェアしています。
 ライディングは素晴らしいものでした。今回、私が走らせたDCT搭載のアフリカツインは、こうした用途にまさにパーフェクトで魅了されました。特にダートロードでは、DCTのモードをSとし、その3段階から選べるシフトスケジュールから、最も高回転を維持するよう選択しました。また、その時、セレクタブルトルクコントロールの介入度は最弱を選んでいます。林道のフラットダートで体験したパワースライドしながら曲がる感触は忘れられないでしょう。

 
ライドアフリカツイン・インターナショナルは正に“TRUE ADVENTURE RIDING”であり発見の旅でした。

 
 今回、私はこのイベントに参加出来た幸運を感じています。そして次なるこのイベントに思いを馳せています。同時に私がそうであったように、日本のアフリカツインのライダーがいつの日かカナダを訪れ、カナダの田園地帯を走り、我々の文化を経験する日が来ることを心から望んでいます。

 
 ローレンス・ハッキング



DCTのアフリカツインで自在にテールスライドを楽しむローレンスさん。ライダーは脳が若い、との研究があるが、オフロードライダーは肉体も若い、という気がする。「みんなで一緒にスライドさせよう」の声に若手、完全に遅れるの図。

あの河原にいってみよう。ローレンスさんの提案で僕達は広大なサンドエリアに入った。この時の走りは本当に楽しかった。


僅かな時間ながら、アフリカツインが媒介する友情はしっとりと深まる。 最終日、僕達は日本の正真正銘、最北端の碑の前でRIDE AFRICA TWIN INTERNATIONALを終えることになる。きっと、誰にとっても自宅から一番遠い場所だったに違いない。それでも家路へのエネルギーはこの数日間で充填され、意気揚々と次なる冒険へと出る事が出来た。アフリカツインのコンセプト“GO ANY WHERE”は本当だった。

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