カワサキモーターサイクルフェア 挑戦の軌跡と夢」

●撮影ー依田 麗
●取材協力-カワサキモーターサイクルジャパン

バイク乗りが集まれば、「どのバイクが一番速い?」という話でわいわい盛り上がって「そんな速いのなら、羽根を付けたら飛ぶんじゃね?」となって一同爆笑。「では、またね〜」というヨタ話は楽しいものです。が、たぶんほとんどの人が「飛ぶわけねーじゃん」と思っているでしょう。

 春にはまだちょっと遠いけれどもうすぐ春のこの季節(2月頃)、毎年バイクのヨタ話以上にカワサキファンならずとも楽しみにしているのが、神戸元町のカワサキワールドがある神戸海洋博物館内の特設会場で開催されるカワサキモーターサイクルフェア(過去の模様はこちらから。2016年「カワサキを愛するライダーたち」「Ninja H2R」2014年「ニンジャフェア」2013年「Zフェア」)。お待たせいたしました、今年2017年のテーマは「挑戦の軌跡と夢」。カワサキが歩んできた初の本格的なバイクから、レース、最高速、新たなる分野の開発など挑戦と軌跡を実車と共に紹介しています。

 今回一般的にたぶん初お目見えとなる試作車0280や、ZZR1100のエンジンを搭載しわずか10台しか生産されなかったKAZE X-11、ボンネビルで最高速に挑戦したH2Rなど、なかなか見ることのできない貴重な車両を間近でじっくり見られる貴重な機会であります。
 実車の展示はさすがにないものの前記のヨタ話が決して実現不可能なヨタ話ではなく、さらに災害救助などでもっともっと大きな可能性を秘めているH2Rエンジンを使った未来への夢がパネルとインタビュー映像で紹介されているのです。夢が夢のままで終わるのか、それとも現実となるのか? 今では当たり前に誰もが使っているスマホだって、たった20年前は誰もこんな便利なものが普及するとは思わなかったでしょ。そう考えると、H2Rエンジンが空を飛ぶ日は案外近いのかもしれないですよ。こんな夢を描けるんですから、カワサキは元気いっぱいなんです!

 2017年2月14日から2月26日(2月20日は休館日)、10時〜17時(入館は16時30分まで)、神戸海洋博物館()内大ホールにて開催。入場料は大人600円、小中学生250円(神戸海洋博物館、カワサキワールドにも入場可能)。

 2月19日にはボンネビルスピードウィークで最高速への挑戦を行ったTeam38の開発ライダー山下繁さんと大型固定翼機のテストパイロット野口勝さん、2月26日には現役ライダーの柳川明選手と本誌編集王子も努めていただいた、我らが中野真矢さんのスペシャルトークショーも(トークショー終了後にサイン会も)開催されます。ここでしか聞けないようなお話が飛び出しそうな気配濃厚(各11時〜、15時〜の2回開催)。こりゃ、春から(まだちょっと先ですが)縁起がいいや!


こちらで動画が見られない方は、で直接ご覧ください。
本格的なバイクへの挑戦

 1953年、川崎重工業のバイク販売会社として誕生した明発工業(現在のカワサキモータースジャパンの前身)。明発とは明石の発動機の略で自転車に取り付けるタイプのKB-1型エンジン(60cc)から販売を開始した。本格的なバイクへの挑戦と言えるのが1955年のKB-5型エンジンを搭載した明発125-500だった。2ストローク123.5cc単気筒で最高出力は5.5馬力。性能、信頼性が高いエンジンで、公官庁にも採用され生産が間に合わないほど好評であった。1957年にバイクのブランド名を明発からメイハツに改名、1960年に新型のKB-7型エンジンが登場するまでKB-5A、KB-5AS(セル付)と改良を加え販売されカワサキ発展の大きな礎ともなった。


展示車は明発125-500のリアサスをリジット化した普及版の明発125-600。
ニューエンジンで富士山登頂に挑戦

 メイハツからカワサキブランド(川崎航空機工業)となった1960年、第7回全日本自動車ショーで発表されたのが125ニューエースだった。KB-5を全面改良し高出力にしたKB-6ASエンジンは低速トルクが不足気味で、さらなる改良を加えたKB-7型エンジンを搭載した。翌年からカワサキ125 B7として量産され明石工場で設計、開発、生産し「航空機のエンジニア達が作った」のキャッチコピーで人気となった。B7ベースのモトクロッサーは、1961年全日本モトクロス大会で2位に入賞している。
 1963年には完全に川崎航空機が設計、開発をおこなったKB-8型エンジンを搭載した125 B5M(カワサキワールドに展示)がカワサキに初勝利をもたらした。B8系は1966年までに約3万8千台が生産され、新設された単車事業部の基礎を築くことに大いに貢献した。
 永らく続いたピストンバルブのKB型から、新たなるカワサキ初のロータリーディスクバルブのニューエンジンに挑戦したモデルが1964年の85-J1(81.5cc)。同年10月の全日本モトクロス大会で優勝して実力を示し、1965年にはカワサキ社員の有志によって富士山登頂に挑戦し、2台のタイヤをモトクロス用に交換したのみの85-J1で見事に成功している。アップマフラー、ツーリングモデル、トレールモデル、モトクロッサーなどの派生モデルが誕生。生産が追いつかないほどの人気モデルとなった。


実用車風な85-J1だが、ロータリーバルブの新型エンジンの実力は侮れない。
2ストロークの可能性に挑戦

 1969年に登場したマッハⅢ 500SSは、ジャジャ馬マッハとして伝説になるほどのインパクトで当時市販車最速と言われた。その“市販車最速”を受け継ぐモデルが4ストローク4気筒エンジンのZ1なのだが、2ストローク水冷4気筒モデルも検討されていた。開発コード0280、開発ネーム“タルタルステーキ”と呼ばれた試作車は、マッハのように加速性能や最高速最重視ではなく、2ストロークエンジンの将来を見越した総合的な性能向上に挑戦した意欲作であった。エンジンレイアウトは前面の空気抵抗を考慮しコンパクトなスクエア4とし、ツインキャブを装着。インジェクション装着車も試作された。目標通り最高出力75ps、最高速度200km/hはほぼ達成されたが、北米で強化された環境規制やオイルショックなど急激に変化する時代背景では、2ストローク大排気量車が生き残ることは難しいと判断し、残念ながら完成間近で開発は中断された。


ほぼ完成していながら陽の見ることのなかった0280。よくぞ保存されていたものだ。
レースからのフィードバックで初の250cc4気筒に挑戦

 1983年ロードレースから撤退していたカワサキだが、1987年にGPX750Rのエンジンをベースにした耐久レーサーを製作、このマシンはフランスカワサキチームから鈴鹿8耐に参戦し見事5位入賞を果たした。アルミツインチューブのこの耐久レーサーの成功もあり、ワークスマシンZXR-7が誕生、ロードレースへの復帰を果たした。時代はレーサーレプリカ勃興期であり、カワサキも初の本格的レーサーレプリカZXR750、400、250シリーズを1989年に投入した。このシリーズのうち250はカワサキ初の250cc4気筒モデルへの挑戦であった。国内4メーカーでは最後発となったが、スペック、装備、性能でまったく遜色なく、クラス唯一のラムエアシステムや、ZXR-7を彷彿とさせるスタイリングで人気を博した。


ZXRシリーズの末弟、ZXR250はカワサキ初の250cc4気筒エンジンを搭載。
新たなるモータースポーツ市場の開拓に挑戦

 航空機、船舶、鉄道車両など陸海空のあらゆる乗り物を製造しているカワサキだが、自社開発の四輪車のイメージは薄い。作業用などの多用途四輪車(トップモデルのMULE PRO-DXTはカワサキワールドに展示)は現在も製造し輸出されているのだが、国内ではあまり知られていない。カワサキ製の四輪車は他にも1959年から開発に着手した軽自動車KZ360と、このKAZE X-11が存在する。KZ360は当時斬新な4ストロークSOHCの2気筒356ccエンジンに、航空機製造で培ったモノコック構造のボディという意欲的な挑戦であったが、販売網や生産など諸処の事情により販売は断念された。もう一台のKAZE X-11はレースモデルではなく、パーソナル・スポーツ・ビークルという位置づけで、サーキットでスポーツ走行を楽しむというコンセプトで開発された。エンジンはZZR1100をベースにカスタムチューンが施されたもので、ボディは航空機からフィードバックされたノウハウで製作されたアルミモノコック、車両重量は409kgという軽量であった。新たなるジャンルへの挑戦であったが、誕生した1991年はバブル経済の崩壊が始まる時であり、0280と同様、生まれた時代に翻弄され、わずか10台が生産されたのみであった。


時代に翻弄され、わずか10台の生産に終わってしまったKAZE X-11。
世界一の動力性能に挑戦

 1984年のGPZ900Rに始まり、GPZ1100RX、ZX-10と新世代の水冷4気筒エンジンを搭載したフラッグシップモデルは最高速路線を突き進み、最高速は250から260、そして280km/hと開発目標も着実に進化を続けた。1990年に登場したZZR1100の開発目標は世界一の動力性能。最高速度やゼロヨンは言うまでもなく、市街地やツーリングでの扱いやすさという相反することも含めた世界一であった。この無謀とも思える挑戦であったが、ZX-10系をベースとしながら全面新設計となった水冷1052ccの4気筒エンジンに、市販車としては初採用となったラム・エア・システムをアルミ角ツインスパーフレーム+スチールダウンフレームに搭載、ZX-10よりショートホイールベース化されるなどによって、見事目標を達成した。ZZR1100は改良を重ね2001年まで続くヒットモデルとなり、その後1200、1400へと進化し、縁の薄かった高速GTツアラーという分野を、我が国に定着させたことも隠れた功績のひとつと言えよう。


ZZR1100の初代モデルC1。
チームグリーンの挑戦

 真夏の祭典、鈴鹿8耐に2014年にチームグリーンからNinja ZX-10Rベースの耐久レーサーで挑戦を開始した。2016年はベテラン柳川明選手と渡辺一樹選手、BSBに参戦するレオン・ハスラム選手の3人体勢で望み、最高速度295.8km/h、最速ラップ2分8秒805を刻み、218周という優勝チームと同一の史上最多周回数を記録して見事2位を獲得している。またワールドスーパーバイク選手権に挑戦するKawasaki Racing Team(KRT)は、ジョナサン・レイ選手がスーパーバイク仕様のワークスレーサーNinja ZX-10Rで2015、2016年と二年連続チャンピオンを獲得している。


全日本JSB1000レーサーをベースに8耐装備を施したNinja ZX-10R8耐仕様。
最高峰クラスへの挑戦

 1980年にワークスレーサーKRシリーズの集大成ともいえるKR500で、コーク・バリントン選手がWGPの最高峰クラスに挑戦するも1982年に撤退。1983年にはロードレース活動を休止したカワサキだが2002年にMotoGPクラスへの参戦を開始する。日進月歩のレース界において20年以上のブランクを経ての挑戦は、まさにゼロからのスタートであり初代Ninja ZX-RRの開発は想像を絶する苦労の連続であった。その模様は、Ninja ZX-RR development team「”最速”に挑む男たち」~バイク開発チームの10か月というNHKのドキュメンタリー番組にもなったほど。当初は苦戦を続けたが、2004年の日本GPで中野真矢選手が3位入賞を果たしたのを皮切に、2005年中国GP(オリビエ・ジャック選手)、2006年オランダGP(中野真矢選手)、2007年日本GP(ランディ・ド・プニエ選手)がそれぞれ2位入賞と結果を残した。2009年にMotoGP参戦を休止したが、ZX-RRの挑戦で培ったノウハウは、ニューモデルへと受け継がれていることだろう。


MotoGPへの挑戦を開始したZX-RRの2002年モデル。
最高速度への挑戦

 1912年から行われる最高速アタックで、数々の伝説を残すボンネビル・スピードウィーク。アメリカのユタ州にある塩湖跡のボンネビル・ソルトフラッツで行われるこの競技に、フラッグシップモデルのH2Rで挑戦したのはカワサキの社内チーム、8耐でおなじみのTeam38。エンジン自体には手を加えず、フェアリングもオリジナルのイメージを崩さないようにし、極力ノーマルに近い状態で参戦した。参戦計画はH2Rの開発段階から進められていたのだが、異常気象によるコースの水没によりレース中止が続き、代替えで開催されたモハヴェ・マイルでは、ゼロ発進から1マイル地点で348.2km/hを記録した。そして2016年に再挑戦となった。そのマシンと生々しい記録映像はぜひご自身の目で。


汚れもリアルな迫力、H2Rボンネビル仕様。
H2R可能性への挑戦

 最後のブースは冒頭で記した「H2Rに翼を付けたら飛ぶのか?」を川崎重工業航空宇宙カンパニーの技術協力によってデータで証明したH2R-AIR TYPE1。データ検証によれば理論上、H2Rの性能があれば、翼を付ければ360km/hで離陸、48.3mまで上昇し、1001mも飛行可能という。とはいえ、実際には離陸後は推力がなくなるし、操縦は不能で着陸姿勢の制御もできないので大変危険。間違っても実行しないように。

 ならば、ちゃんとした機体にH2Rのエンジンを搭載すればということで、考えられたのがTYPE-2。先頃復元された飛燕を思わせる流麗な機体はフルカーボンのモノコック。最大速度は500km/h(稚内から沖縄まで8時間)、航続距離は2000km(神戸空港から台湾まで無給油で飛べる)というレシプロ単発機としては、ハイスペックな性能を持っている。「なんだ普通の飛行機じゃん」と思うかも知れないが、操縦桿はバーハンドル、コクピット中央には前代未聞のガソリンタンクが鎮座し、ニーグリップが可能という。あくまでH2Rありきという、こだわりも忘れていない。

空飛ぶH2R!? H2R-AIR TYPE1。 固定脚だけど飛燕みたいなH2R-AIR TYPE2。

 災害救助などで活躍するのが川崎重工業の航空機やロボット部門などの技術を結集したパーソナルエアクラフト(PWC)。アームなどを持つTYPE-3、ツインエンジンの超高速偵察PWCのTYPE-4、トレーラーに搭載され陸路での長距離移動と複数機のチームワークで多目的救援を行うPACのTYPE-5。ドローンのような形状ながら、こちらもコクピットがバイクと同様の跨がってニーグリップし、バーハンドルで操作する。あくまでコンセプトであり、今日明日実現するということではないが、H2Rの過給器付きのハイスペックエンジンがあればこそのコンセプトで、可能性はまだまだ広がっていくだろう。

H2R-AIR TYPE3 H2R-AIR TYPE4 H2R-AIR TYPE5
なにげに最新モデルVERSYS-X250 ABS TOURERも!

 会場を出ると先日発表されたばかりの期待のニューモデル、VERSYS-X250が日本で初お目見え。展示されるのは先行販売されるVERSYS-X250 ABS TOURER。この装備でこのお値段、グッとくるプロポーションに期待は高まる。詳細は新車プロファイル2017(VERSYS-X250 ABS TOURERVERSYS-X250 ABS)で。


カワサキワールドも必見

 同じ神戸海洋博物館内にある常設展示のカワサキワールド。2016年10月にリニューアルされたモーターサイクルギャラリーのイベントエリアでは「ビッグバイクのレジェンド、W物語 W Story since1965~2016」を開催中。Wシリーズの原点となった500メグロK2(1965年)から、Wシリーズの1番手となる650W1 (1966年)、派生モデルのスクランブラー仕様650W2TT(1968年)、キャブトンマフラーにツインキャブの650W1S(1969年)、最終型となった650RSW3(1973年)が展示されている。ビッグツインで大排気量時代を切り開いたカワサキの挑戦を一堂に見られるビッグチャンス。


500メグロK2(1965年) 650W1 (1966年)
650W2TT(1968年) 650W1S(1969年) 650RS W3(1973年)
Wシリーズの実車はカワサキワールドで、詳細はW大全でご堪能ください。

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