岡崎静夏のMoto3参戦レポート ビリは恥じゃないし、役に立つ!

 ロードレース世界選手権(WGP)はオートバイ世界最高峰のレース、排気量別にMotoGP(1000㏄)、Moto2(600㏄)、Moto3(250㏄)の3クラスが開催。ヨーロッパ、中東、アメリカ大陸、南米、アジア、オセアニアと感動を振りまきながら世界中を巡り18戦でタイトルを争う大会です。欧州での人気は高く20万人近い観衆を集めるサーキットもあり、サッカーを凌ぐ人気を誇ります。MotoGPのトップライダーであるバレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)は、世界のアスリート長者番付でトップ10に入るスター、年収は60億とも70億とも言われております。

 そのWGP第15戦日本ラウンドがツインリンクもてぎで開催され、Moto3に岡崎静夏(24歳)が参戦しました。日本人女性ライダーがWGPに参戦するのは、井形とも子さん以来、21年ぶりで大きな注目を集めました。スポーツは男女別れて、それぞれに競う競技が多いのですが、ロードレースは、男女が同じ舞台で戦うスポーツです。岡崎は期待で胸をいっぱいに膨らませ、懸命に挑み予選34番手、決勝26位でチェッカーを受けました。目標は「走り切ること」でした。

 まず、このWGPには簡単に出場することは出来ません。なにせ、世界最高峰なのです。フル参戦の権利を持っているのは各チームが契約する選りすぐりのライダーたちで、岡崎が参戦するMoto3には33人がレギュラーライダーとして鎬を削っています。岡崎は各国で実施されるワイルドカード参戦枠(特別地元枠)の権利を得て、参戦を実現させたのです。ライダーなら誰もが目標とするWGP、ですが岡崎の口から、その言葉を聞いたのは今年に入ってからでした。
「10位を走っていて、9位になりたくて転ぶのは仕方がないと思っていた。攻めないで10位より、9位を狙って攻めて転倒する方がいいって……。私が負けるのは根性が足りないからだ。もっと気合を入れないと前に行けないって真剣に思っていました。でも、去年のレースで、スタート直後に転倒したんです。みんな優しいから“次頑張ればいいよ”とか“ケガはない?”っていう人がほとんど。全力で走ったんだし、仕方ないと自分でも思っていた。でも“このレースのために準備してくれた監督やメカニックの前を一度も通過しないでレースを終えるのはどうかと思う”と厳しく言ってくれた人がいたんです。ちょっと、ショックだったけど、そうか、そうだなって考えました。最後まで勝負が出来るようになるには、何が必要なんだろうって」

 ここから、岡崎は変わりはじめます。マシンセッティングをしっかりすることが大事だと、マシンについて学び始めます。ライディングも、感覚に頼るのではなく、理想の走りを追い求めるようになります。オフシーズンに出かけたトレーニングでバンクセンサー(膝パッド)を忘れてしまい、膝を擦らないで走行したら「車体を楽に曲げられることに気が付いた」と言います。必要以上に身体を倒すことなく、マシンコントロールできるヒントを見つけたのです。いろいろ考えて、様々なトライを重ねたことで“気合と根性”から抜け出した岡崎は「物理的に考えられるようになったんです。原因には理由がある、バイクの動きも、ライディングも分析して理解することから、世界が広がった。走ることが、ものすごく楽しくなりました」

 その意識改革が、今年の全日本開幕戦、茨城県筑波サーキットで大バトルの末に6位というシングルフィニッシュという目標達成させるのです。このレースで6位になれたことで『WGP』を具体的に意識するようになります。ライダーなら誰でもが目標とする世界ですが、岡崎は「自分が口に出してはいけないくらいにすごい世界だから」と胸にしまい続けていたのです。でも、「もっと速く走れるかも知れない。もっと速く走りたい」という思いが大きくなり、岡崎が所属するUQ&テルル・KKohara RTの小原斉監督に「WGPに出たい」と勇気をかき集めて告白するのです。
「笑われると思っていました。止めておけって。怒られるかも知れないって。でも、やってみればって言ってもらえたんです。参戦が受理されたのは、幸運で嬉しいことでしたが、小原さんからOKをもらえたことが、その時よりも嬉しかった」
 小原監督は世界チャンピオン(エディー・ローソン、ルカ・カダローラ)のメカニックを務め欧州でも有名、近年では伊藤真一の全日本チャンピオン獲得を支えた名メカニック。レースへの厳しい取り組みでも知られ誰もが一目置く人物です。
「金網越しに世界のトップライダーの走りを見るのと、一緒にコースを走ることが出来るのは全然違う。得るものがあるはず」
 小原監督はそう言って岡崎の背中を押してくれました。

 ワイルドカード参戦ライダーにはレースウィークの木曜日にエンジンや共通パーツが渡され、それを組み込んで走らなければなりません。ですから岡崎がGP仕様のマシンに乗り込めるのはレースウィークになります。決勝日の日曜日まで走行時間は、金曜日、土曜日の計4回と少ない。開幕戦から14戦も戦い続けているレギュラーライダーとは大きな差が、すでにあります。小原監督も「ワークス系のマシンが20台以上参戦しており、マシン差は大きく、無謀な挑戦かも知れない」と言うほど。
 それでも、岡崎は「厳しいことは分かっています。当然です。だってWGPですから。でも、ものすごく楽しみ。こんなに、何かを楽しみに待ったことがないくらいに楽しみです。WGPを意識するようになって、WGPの見方も変わりました。どんなふうにマシンコントロールしているのだろう。どこでブレーキングしているのかって。大事に走ります。何も見落とすことのないように」と底抜けに明るい笑顔を見せていました。
 大先輩である井形とも子さんは、岡崎が参戦したレディースロードレース選手権の講師でもあります。井形さんは「岡崎選手に会ったのは彼女が中学生の頃、目の輝きが違っていたので良く覚えています。レース参戦する女の子たちを前に、ここから、全日本、世界へと羽ばたく子が出てほしいと願いました。岡崎選手が、その夢を叶えてくれました。願うのは、チェッカーを受けてほしいということ。私はワイルドカード参戦した時、転倒しているんです。もう何十年も前のことなのに、未だに悔やんでいます。走り切れたことの大事さに気が付くのに、何十年もかかるのかも知れませんが、しっかり走り切ってほしい」と語っていました。



 岡崎は10歳からレースを始め、2009年~10年とレディースロードレース選手権で2年V2を飾り、敵がいないので卒業を言い渡された逸材。全日本ロードレースに挑戦を開始し、現在J-GP3ランキング6位。サラサラのロングヘアの可愛い女の子で、日本一速い女子高校生として多数のメディアに登場、一時はAKB入りも噂されていました。「踊れない」とその話は消えレース一筋で歩みWGP参戦を引き寄せるのです。
「女の子だからって参戦が決まったわけではないし、レースをしている時に女だって意識することはないです。私の参戦しているクラスでは体力差も感じることがない。そうならないようにトレーニングをしています。生活の中で、必要だと思う筋力を常に鍛えています。でも、私が女の子だってことで、注目してくれる人が増えるなら、それはすごく嬉しい。レースのことを、たくさんの人に知ってほしいから」
 日本GPでは、通常は2人のメカニックが5人に増え、いつもはチームを束ねるために、要所でしか頼れない小原監督がチーフメカニックとしてついていました。全日本ではタイヤ屋さんにタイヤを取りに行くなどの様々な準備をするのは岡崎の役目ですが、今回はメカニックがやってくれ、岡崎はレースだけに集中することが出来たのです。岡崎は初日の走行から自己ベストに迫るタイムを叩き出し、WGPのピリピリとした緊張感が、意識を高めてくれているようでした。井形さんも世界チャンピオンの坂田和人も応援に訪れ「止まって、曲げて、加速、基本をしっかり、メリハリのある走りを」とアドバイス。懸命に挑みますが、予選は最後尾の34番手。決勝でも最後尾となる26番手でチェッカーを受けました。



「戦えなかった。悔しいです。最高の環境で挑戦させてもらえて、小原監督が付きっきりでいてくれたのに、そのチーム力を示すことが出来なかったことが申し訳ないし悔しい。自分のやっていることが、まったく通用しないということが分かりました。手も足も出なかった。自分が何も分かっていないということが分かった。どんなマシンにしてほしいのか、自分が何を望んでいるのか、それが、わかってないから小原監督に伝えられなかった。悔しいけど、それでも、参戦出来て良かったと思います」
 岡崎は、すこし傷ついているように見えた。こんなはずじゃなかったと思っているのだと思う。立ちはだかっていた壁は想像以上に厚いことを知ったのだ。それでも、それは、挑戦した者しか知ることが出来ない。尻込みしている人には、壁があることさえわからない。今以上になろうとしてもがいたからこそ、知りえたことだと思うのです。
「力の差が歴然とあることは分かっていたこと。この参戦の結果が出るのはこれから。岡崎が成長して全日本チャンピオンになり、きっかけは、この日本GP参戦だったと言えるように」
 小原監督は優しく厳しいエールを送ってくれました。

 岡崎に「目標のチェッカーは受けたし、しっかり走り切ったじゃない」と声をかけたら「それは当然のこと、当たり前…。このまま、私が変わらなければ、何度挑戦しても一緒。だから、もう一度、チャレンジしたいと思えるようになったら、また、走りたい」と答えました。
 その言葉は挑戦出来るライダーになってみせると言っているようでした。可愛い女の子なのだから、もっと、違う生き方も出来るのに、よりによって、ロードレースという極限のスピードを競う戦いに挑み、才能に恵まれたからこそ、傷ついて、それでも、諦めず、「成長したい、1番になりたい」と叫ぶように挑んだ岡崎のチェッカーは、実は、まだ、振られていないのかも知れません。

 レースウィーク中、青い空が広がり、太陽は夏の陽射しを取り戻したかのように熱いくらいだったツインリンクもてぎ、MotoGPはマルク・マルケス(ホンダ)がタイトルを決め最高潮の盛り上がりを見せ、Moto2では、中上貴晶(カレックス)が熾烈な3位争いを繰り広げて僅差の4位、Moto3は、尾野弘樹(ホンダ)が3位を獲得するも最低重量違反で失格と日本GPは大荒れでした。この最高峰の舞台で活躍するライダーたちにも、WGP初参戦の時はあり、華々しい活躍では決してなく甘く苦い体験からスタートしているのです。


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