Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA」2016年10月追加分

ホンダコレクションホールに保存されている車両の走行確認テストを一般公開する「ホンダコレクションホール走行確認テスト」(見学は無料。ツインリンクもてぎへの入場料は必要)が、秋の気配が濃くなった2016年10月10日体育の日に、ツインリンクもてぎ南コースで開催された。今回確認走行をしたのは二輪9台、四輪3台の計12台。事前予告ではめったに走行しないカーチス号(本田宗一郎氏が1924年の修業時代に製作した四輪レースカー)も予定されていたが、残念ながらキャンセルとなった。三連休の最終日でもあり、いつもより多い1100人あまりのファンが訪れ、いにしえの豪快なサウンドを堪能したそうだ。今回走行した車両の内、既にに掲載している車両は本誌特集「」の各ページを参照(下段にリンクあります)していただくとして、未掲載の二輪3台を新たに追加分としてご紹介させていただく。


有終の美を飾ったRCシリーズの集大成 RC1811967
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 1959年WGPに参戦したホンダは徐々に力を付け、着実に各クラスを制覇した。1966年、ついに最後に残された最高峰クラス500ccへ挑戦する。そのために用意されたマシンがRC181であった。手慣れた手法になっていた空冷DOHC4バルブ4気筒エンジンは、ボア57.56mm、ストローク48mmの499.6ccとされ、これもお馴染みとなったダブルバックボーンフレームに搭載された。参戦開始以来積み上げてきたノウハウの集大成ともいうべきマシンで、最高出力は85ps/12000rpm、最高速度260km/h以上という、名実ともにRCシリーズの頂点に立つモデルとなった。ただ、当時の解析力ではこのハイパワーに対して十分とは言えないフレームや、車両重量も151kgとヘビーとなったこともあり、乗り手を選ぶクセのあるマシンとなり、数々の勝利を重ねた名手ジム・レッドマンでさえ第5戦のベルギーでは、雷雨という最悪のコンディションも重なり転倒し、左腕を骨折して引退に追い込まれたほどのじゃじゃ馬であったという。乗りこなせばそのポテンシャルは非常に高く、マイク・ヘイルウッドらの活躍により最高峰クラス参戦1年目にして、ホンダはメーカータイトルを獲得。ついに前人未踏の全クラス制覇を達成し、ホンダWGP参戦第一期を飾った。東洋の小さな敗戦国が再び世界へと挑戦し勝利を収める。ホンダミュージックと呼ばれた高回転サウンドを奏で疾走するRCシリーズの真っ赤なタンク、それは昇り行く真っ赤な太陽=ライジング・サンそのものであった。


撮影車は、1967年の第3戦ダッチTTでマイク・ヘイルウッドが、ラップレコードを更新し優勝した車両。最終年となるこのRC181は4RC181と呼ばれるもので、軽量化などの改良が加えられたモデルで、MVアグスタのアゴスチーニと熱戦を繰り広げ10戦5勝(第1戦西ドイツ・リタイア、第2戦マン島・優勝、第3戦ダッチTT・優勝、第4戦ベルギー・2位、第5戦東ドイツ・リタイア、第6戦チェコスロバキア・優勝、第7戦フィンランド・リタイア、第8戦アルスター・優勝、第9戦モンツア・2位、第9戦カナダ・優勝)を挙げ、終了時のポイント、優勝数共に同じであったが、2位の回数により惜しくもチャンピオンは逃した。

モトクロッサーから生まれた野心作 RS125RW-T 1981
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 モトクロッサーとしては前代未聞ともいえる2気筒エンジンを搭載し、1980年に登場した野心作の1981年モデルのRC125M。直線は速くパワフルであったが低速域がまったく使えず、乗りこなすにはかなりのテクニックが必要とされたという。レースは走る実験室を標榜するいかにもホンダ的レーサーであったが、FIMは「1982年から125クラスのエンジンは単気筒に限る」新レギュレーションを決定、開発は中止され、実戦投入はわずか1戦に留まった(結果は7位)。このエンジンを転用したロードレーサーが1981年春にRSC(HRCの前身)が発表したRS125RW-Tだ。これまた市販モトクロッサーCR125の水冷単気筒エンジンを採用し、前年登場した市販ロードレーサーRS125RWにこの水冷2気筒エンジンに搭載したモデルである。とはいえ流用されたのはクランクケースくらいで、他の部分はほとんど専用部品で一新されているようだ。ちなみに1980年のRS125R-Wは31ps/11300rpm、2.2kg-m/11000rpmに対し、RS125RW-Tは38ps/14000rpm、2.0kg-m/13000rpmとパワーアップしたものの、レーサーとして重要な重量が9kgもアップしていた。デビューは1981年の全日本選手権第4戦鈴鹿(日本GP)で、雨の悪コンディションの中、前年のチャンピオン一ノ瀬憲明選手が、逃げる同じツインエンジンを搭載したMBA(イタリアの小メーカー製で、モノコックフレームに水冷ツインエンジンを搭載)の榎本選手を最終周ゴール前直線でかわすという劇的な逆転で初勝利を飾った(全日本選手権の125クラスでは、ワークスレーサー扱いとなるRS125RW-Tはポイントのない賞典外であったが)。



ゼッケン20番のこの車両は、一ノ瀬選手が1981年マレーシアの国内レースに参戦したマシン。RS125RW-Tはマレーシアで、BOON SIEW HONDA(マレーシアのホンダ販売会社)から出場し4戦4勝を挙げ大活躍するも、すでに安定した戦闘力で大好評であった単気筒エンジンのRS125RWに比べると、超ピーキーで、重量も重く、コストも嵩むなど、2気筒モトクロッサー同様のウイークポイントから、本格的な市販レーサーへと発展することはなかった。

多くの名ライダーを育てた小さな巨人の完成形 RS125RW 2003
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 RSC(HRCの前身)が開発し、1976年に発売した市販レーサーMT125Rは、モトクロッサーCR125の空冷2ストロークエンジンを特製フレームに搭載、小型軽量でバランスや耐久性が高く、レースの入門マシンとしてノービス、ジュニアクラスからベテランまで幅広い層の人気を集めた。その発展型が進化した車体に市販モトクロッサーCR125のクランクケースに、鋳鉄スリーブ入りアルミシリンダーを組み込んだ水冷ピストンリードバルブエンジンを搭載し、1980年に発売されたRS125RWだ。RSCチューンのこのマシンを駆り、一ノ瀬憲明選手は全日本選手権で1983年まで3年連続でチャンピオンを獲得、RS125RWも初心者からA級ライダーまで幅広い層に支持された。毎年のように改良を続け、1984年からは名称もRS125Rとなり、1987年には新エンジン、アルミフレームのニューボディーへと大進化を遂げたフルモデルチェンジ(NF4)を行い、WGP125への投入を開始。1989年にはWGPで6勝を挙げメーカータイトルを獲得した。1991年の日本GPでは上田昇選手が日本人ライダーとしてRS125RにWGP初優勝をもたらした。RS125Rは国内や欧州で年間1000台規模で販売される大人気モデルであり、7年連続メーカーチャンピオン獲得など黄金時代を迎えた。その後アブガスの使用禁止、2ストから4ストへのスイッチなど、レースを取り巻く環境の変化により、2004年に実質的なマシン開発を、2005年にはキットパーツ開発を終了した。今回走行した2003年RS125RWは、当時まだ18歳だったダニ・ペドロサが、大混戦のシーズンで5勝を挙げ(第1戦鈴鹿・8位、第2戦南アフリカ・優勝、第3戦スペイン・4位、第4戦フランス・優勝、第5戦イタリア・2位、第6戦カタルニア・優勝、第7戦オランダ・8位、第8戦イギリス・リタイア、第9戦ドイツ・4位、第10戦チェコ・優勝、第11戦ポルトガル・4位、第12戦リオ・4位、第13戦もてぎ・6位、第14戦マレーシア・優勝、第15戦オーストラリア・フリー走行中に転倒骨折し未出走、最終戦バレンシアも未出走)自身初となるWGPチャンピオンを獲得した2003年モデル。RS125RWは、ロリス・カピロッシ、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、青木治親など多くの有名ライダーを輩出している。ちなみにRS125Rの世界GP向けの仕様といわれるモデルがRS125RWだが、いわゆるワークスマシンではなく、市販モデルがベースのHRCのスペシャルキット装着モデルである。



RS125Rの最終型は1995年に登場したNX4と呼ばれるタイプ。常勝を誇った前モデルNF4を越える「絶対に負けられないマシン」としてエンジン、車体など一新された。2003年モデルは、フロント、リアサス周りを一新した2002年モデルを基本的に継承している。

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RC116(1966) 詳細はで。 4RC146(1965) 詳細はで。 CB500R(1975) 詳細はで。
RCB(1976) 詳細はで。 NSR500(1988) 詳細はで。 RVF750(1991) 詳細はで。
RA301(1986) 詳細はで。 ロータスホンダ100T(1998) 詳細はで。 マクラーレンホンダMP4/6(1991) 詳細はで。
いにしえのレーサーからF-1マシンまで、あらゆるホンダ車を乗りこなすテストライダー&ドライバーは、おなじみ元祖ドライダーの宮城光さん。見事な走りに、終了後には大きな拍手が。

Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA」

[ホンダミュージックが世界を征す]

●1966年 RC116(50cc)
●1965年 4RC146(125cc)
●1966年 RC149(125cc)
●1966年 RC164(250cc)
●1966年 RC166(250cc)
●1967年 RC174(350cc)

[トリコロールはここから始まった]
●1972年 CB750
●1975年 CB500R
●1976年 RCB

[ホンダV4黄金時代]
●1991年 RVF750
●1997年 RVF/RC45ホリプロホンダwith HART(8耐仕様)
●1999年 RVF/RC45ラッキーストライクホンダ(全日本スーパーバイク仕様)

[7度の世界タイトルを獲得したワークスレーサー]
●1993年 NSR250(岡田忠之仕様)
●1997年 NSR250(マックス・ビアッジ仕様)
●2001年 NSR250(加藤大治郎仕様)

[無敵の6年連続チャンピオンなどWGP500クラスで他車を圧倒]
●1984年 NS500(フレディー・スペンサー仕様)
●1984年 NSR500(フレディー・スペンサー仕様)
●1985年 NSR500(フレディー・スペンサー仕様)
●1988年 NSR500(ワイン・ガードナー仕様)
●1997年 NSR500(マイケル・ドゥーハン仕様)
●2002年 NSR500(加藤大治郎仕様)

[MotoGP元年をロッシとのコンビで圧勝した新世代の5気筒レーサー]
●2002年 RC211V(バレンティーノ・ロッシ仕様)

[F1創生期 無謀とも思えた挑戦で2勝の快挙]

●1965年 RA272
●1967年 RA300
●1968年 RA301

[F1第二参戦期 エンジンサプライヤーとしての挑戦]
●1988年 ロータス100T
●1987年 ウィリアムズFW11
●1988年 マクラーレンMP4/4
●1989年 マクラーレンMP4/5
●1991年 マクラーレンMP4/6

[GTカー創成期 自動車メーカとしての名声を高めたマイクロ・スポーツの活躍]
●1966年 S800GT-1仕様
●1968年 S800マーシャル仕様

[ツーリング&GTカーの時代 市販車の高いポテンシャルをサーキットでも証明]
●1983年 ヤマトCIVIC
●1987年 モチュールCIVIC
●1993年 JACCS CIVIC
●1998年 ギャザズ CIVIC
●1995年 NSXルマン

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