Honda CRF1000L Africa Twinで、バハを駆ける──後編

ホンダモーターサイクルジャパン
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 カーテン代わりの観音開きの木戸、その隙間から細い光りが差し込む。何本目かのビールに手を付け、それを半分残して僕は寝オチしていた。朝だ。
 寝過ごしたか、と慌てたが、まだ7時前。
 初めてここに来たのは1988年。ラ・ピンタ、という国営時代からの名前だったホテルは、その後デザート・インというホテルチェーンの一つになり、今はホテル・ミッション・カタビニャと改名している。平屋のホテル以外、道の向かいにドライブインがあり、その先に何軒かの民家がある小さい集落があるだけの場所だ。それでも、ここはバハ旅の要所。バハ1000を走るチームにとって、欠かせない場所だ。

 身支度をしてフロントの前に置いたアフリカツインを見に行く。その姿を見て安心してからレストランで食事をした。ファミレスの朝定食のような簡単なメニューだが、全部手作り。トルティーヤにサルサ、オレンジジュースだって絞りたてである。のんきではないのだが、だから時間が掛かる。バハの旅の時間軸では食事には必ず1時間を要する。
 
 今日、行く場所の目星は付いている。昼までかつて走ったレースコースを探し、午後にはラグナ・チャパラへと向かおう。

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白く長く続く砂の道。
岩とカクタスの風景を行く。

 とはいっても、あの時のレースコースへと入り込むのは容易ではない。この辺りだろうか、と探すしかない。部屋で身支度をしてホテルを出たのが10時前。すでに太陽の光は白味を増し、日向に出た瞬間、暑い、と唸る。以前、このホテルの向かいにPemex(ペメックス・メキシコのガソリンスタンド、というか、メキシコのガソリンスタンドに唯一供給する国営の石油会社)があった。今もその建物は残る。ナゼかは解らないが、このスタンドは廃墟になり、その先、100mほど北に行った道端でガソリンは売られている。1ガロンのボトルに入れられたガソリンには、本当かどうか解らないが、レギュラーだけではなく、ハイオクもある。

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 ホースをガロン容器に差し込み、少し口で吸い込み、タンクにガソリンを落とす。漏斗(ファンネル)で燃料をドバドバ入れることもある。満タンになるまで入れるが、単位が1ガロン。余ると適当に「これぐらい」で計算だ。メキシコはガロンではなくリットル単位なのでその辺はアバウト。
 
 カタビニャから北に走る。昨夜、暗がりで黒い稜線しか見えなかった岩山、大地に映えるカクタス。この二つの間を1号線が縫うように走る。それがカタビニャの風景だ。舗装がひび割れた道は地形をなぞるように細かくアップダウンとカーブを繰り返す。100km / hで走るとサスペンションの良さがよくわかる。
 まるで巨大ジャガイモのような岩が重なった山がいくつも地面から突き出した風景はここでしか見られない。昼間にこの風景を見ずしてバハは語れない。
 
 2000年のレースの時、この先からプレランへと入った記憶がある。比較的大きな道で、10kmほど走った場所からレースコースへと入る、というようなものだ。場所は定かではない。が、この辺りか、とアフリカツインで太平洋側へと向かうその道に折れた。

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 セレクタブル トルク コントロールを最弱にセットした。アクセルをあけてゆく。広い道。白い固い土の道が続く。洗濯板のようなギャップが続き、丘を越えると、その先は柔らかい砂へと変わる。スタンディングで走る。上半身が切る風がスピードを連想させた。
 
 速度が乗る。軽い減速と同時にカーブに向けて車体を傾ける。慣性で後輪が外に滑り出す。アクセルを開けながら内側のステップを踏み、荷重を逃がす。適度に後輪が外に滑り、ニュートラルステアに持ち込めた時の一体感たるや……。こんな時、前輪の安定したグリップ感があり、安心して攻めて行けるシャーシバランス……。旅とか忘れてもっと攻め込みたい誘惑に駆られる。アフリカツインは罪なバイクだ。

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 ちょっとだけ行って引き返すつもりが、1号線でリセットしたトリップメーターが、早くも10kmを越えた。あの丘の頂上まで行ったら……。そこまで行くと、一面カクタスが生えた起伏に道が延びる。止まるに止まれない。ヘルメットが受ける風を停める理由を探すのが難しい。大きなS字を描いて続く道に一本の道が合流した。少し細い道は方角的には1号線を指しているのか。
 
 その道に折れて進む。起伏はよりダイナミックで細かく、完全な2トラックの道だ。固まった土と砂の柔らかい部分とが交互に現れる。轍の真ん中は盛り上がり、左右どちらかの轍を選び、そのレールに乗りながら進む。
 途中、道の正面に巨大なカクタスが現れた。道はそのカクタスを迂回するようにくねり続く。手前には起伏にあわせるかのように盛り上がりがある。アフリカツインのサスペンションを一瞬縮めて、アクセルを合わせ、フロントを上げる。狭い道でもすでに速度は120km / h。まっすぐ飛び出すと、轍を外れ、背の低いカクタスが群生する藪に突っ込んでしまう。少しだけ速度を落とし、曲がる方向に飛び出す。決まった!
 
 軽量なバイクではない。アフリカツインだ。緊張感はあるが、気持ちはバハ1000を走っているような聡明で集中力があり、しかも時間が少し長く感じる。速度は速いがゆっくりに見える、というあのレース中の不思議な感じが蘇った。

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 しばらく走って立ち止まった。アイドリングを停めると、音が無くなり、風の音だけになった。そして、耳の中で心臓の音が聞こえる。足に当たる太陽がパンツを通してジリジリと照りつける。Uターンをしよう。生まれたてのカクタスがゴルフボールほどの塊になって砂にうずくまっている。それを踏まぬよう轍に戻り、再び走り出す。吹き出した汗に乾いた風があたり、一気に冷えて行く。成り行き砂の轍を滑るように進みながらダートランを堪能した。
 
 何度も重ねた失敗から越えても割ってもイケない速度を割だし、砂の中でうねる前輪をグリップから感じとり、再び風の中を走り続けた。自分が残した軌跡を辿り、鋭角に曲がった分岐まで戻ると、さっき飛ばしてきた道を急いで(その必要はないのだが)とって返す。

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 昼過ぎまでこんな事を繰り返す。もっと深い砂の道へも入り込んだ。ザラ目の砂、埋まった丸い岩、枝を伸ばすカクタス、前輪が砂に取られないよう、カーブの手前でアクセルを閉じ減速、向きを変えパワーオンで轍の外側に当てるように走る。砂の抵抗が大きく、速度が落ちるととたんにバイクの進路があやふやになる。この道はアフリカツインには手強い。低いギアでアクセルを開け続ける。僅かな距離で息が上がってきた。止まるとラジエターの電動ファンも盛大に回り始めた。引き返そう。数km走ってUターンする場所を探す。砂が深く、轍の外になかなか出られない。

 ようやく見つけた轍の切れ目から出たその場所もアクセルを閉じられないほどザラ目の砂が深かった。おおっと! という場面もあったが、アクセル操作とバイクのバランスを取るコトに集中できるDCTはやっぱりライダーとして感じる難易度を低めにしてくれるようだ。クラッチ操作って何の気ナシに、本当に僕達は何の気ナシにしているが、神経を使っているのだ。

そしてドライレイクへ。

 ラグナ・チャパラ。カタビニャから南に30分。そこに現れた広大なドライレイクは、思わず目をみはる。太陽に炙られひび割れた湖底が続く。道でもない、しかし走り続けられる巨大な広がり。

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 1号線から湖底に降りる。高低差は僅か。まるで河川の土手を下ればそこから延々と続くかのような湖底がある。だれも轍を残していないその場所を、自由に方角を決めて走り出す。アクセルを開ける。埃の渦がミラーの中を埋め、追いかける西日が遮られた。どれくらい走っただろう。ラグナ・チャパラの縁まできた。向きを変え、西日に向かって残っている一本の轍をたぐり寄せるように走り出す。程なくギアは6速にシフトされそれでも増速は止まらない。メーターはとんでもない速度を示すが速度感はない。むしろ半分も感じてないほど。ただ、体にぶち当たる風の強さはその数字がウソではない、と想像できるもの。ひび割れた湖底が眼下に流れる。夕陽を浴びた湖底はさざ波の上を滑っているかのようだ。

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 時折、路面の固さが変わり、抵抗を受けて加速が鈍る。再び固い路面になると加速感が続く……。走り始めた場所に戻ってきた。速度を緩め、止まる。風にのって自分が起こした埃の嵐に飲み込まれた。その一団は風に乗り、色をうすめながら湖底の上で姿を変え、遠ざかって行く。

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 次第に傾く夕陽。湖面がオレンジ色に染まる。山の稜線を眺めると、一定の速度で太陽が沈むのが見て解る。落陽が近い。飽くことなく走る。アフリカツインのエンジンを止める。遠く、1号線を行く大型トレーラーが放つタイヤとエンジンの唸りが風に乗ってきた。バラララララ、バラララララ、シフトダウンしながら響く排気ブレーキの音が届く。
 
 ティファナから500km近く走って来たが、半島の中間点、ゲレロ・ネグロまでまだ250kmほどある。広大な湖底で明日の事を思い始めた。南下するか。それとも……。

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ココズ・コーナーと灼熱の5号線。

 チャパラから戻る道を照らすLEDのヘッドライト。山の輪郭は濃紺の空にかろうじてその輪郭が浮かんでいた。星が目立ち、岩山やカクタスは昨夜と同じように闇に解け始めていた。
 
「また来よう」

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 この半島は準備無く急ぎ旅を許すほど甘くない。無事に戻る。完走する秘訣はそれだ。明日から北上する。そう心に誓った。さもないと、ズルズルとなし崩しに移動を続ける流浪の民になりそうだ(大袈裟だが)。
 
 夕食後、地図を広げ明日の行程を考えた。そうだ、ココズ・コーナーを回ってサンフェリーペに行こう。ティファナから1号線は概ね太平洋側を南下してきた。今日走ったラグナ・チャパラからもう一本の北上ルートがある。5号線だ。5号線へのアクセスはしばらくダートの道だ。これで戻ろう。

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 翌朝、ガロンボトルで給油を済ませ、再びチャパラへと向かう。1号線から左に折れると、一直線のダートロードがチャパラを横断している。道幅は広く快適だが、所々大きなギャップがある。土手の上を行くような広いその道が荒れていると、土手の下にある砂の道に迂回するバイパスルートがあった。

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 土と石を練って固めたような硬質な路面となり、その砂の道は柔らかくうねりも穏やか。快適だった。ただし、2本の轍のいずれかの中を選ばないと中央には砂の盛り上がりがあり、それが前輪の行方を乱す。アフリカツインはこんな砂の道が意外と得意だ。路面のうねりを長いサスペンションで吸収しながら砂を捕らえ、アクセルを開けていれば推進力が途切れない。河床の砂のような昨日の場所では少し暴れたが、この砂とは相性が良い。

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1992、1995、1998、1999、2000。久々にCOCOと会う。

 ガタボコか砂か。究極の選択をしながら1時間。バハ1000でも何度か通ったココズ・コーナーへとやって来た。16年振りに通るこの場所。住人のココは、昔エンセナダに暮らしていた。身長が高く、椰子の木のようだ、と、付いたあだ名がココ。仕事での怪我で両足を切断。町での暮らしに見切りを付け、まるで何も無いこの場所に移り住んだ。町の人よりこの周りの人のほうが彼を案じてくれたという。もう80歳に近い。立ち寄る女性におねだりして集めた下着が天井を埋める。あいかわらず……。
 初めて会った時は60歳とちょっと。それ以来、レースのプレランで寄る度に挨拶をして彼のオモシロイ話を聴いた。

 両足を膝から下で切断した彼はココ用の特大車いすで生活をしている。COCO’S CORNERと地図にも書かれるランドマークだ。壁のイタズラ書きを指さし、FacebookのページにLIKE !を押せ、という。冷たいコーラを飲み彼の家(店か?)を後にした。
 
 もう時間がないんだよ。バッサリと言い放たれたことがある。確かにいつかまた来よう、では、ココにも再会出来るチャンスは少ないのかもしれない。アフリカツインの走りに助けられるうちにまた来なければ……。

 5分も走るとコーラを飲んだ口が粘ついてきた。暑い。山岳路を越え、ダートが続く。かつてココが「山沿いに道を造り5号線が延びる」と話していたが、その道を正に走っている。赤茶けた岩肌を削り、山の尾根を切り崩すように工事が進む。途中、道路工事の中継地点のような現場があり、小屋、モーターホームが並ぶ。移動しながら工事を進めているのだろう。周りにはなにもない。

 そんな山道を行くこと、1時間。まるで夢のような舗装路に出た。集めた情報ではもっと先までダートだったが、舗装路が凄い勢いで伸びている。あと数年でチャパラまで快適な舗装路が延びるのではないだろうか。

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 そこからカリフォルニア湾側に出るまで、150kmほど灼熱の道が続く。40度近い気温。強烈な太陽。風景は今までと似たようなのに気温と太陽が心に和みを与えない。風呂水のようにぬるくなった水を飲み走る。ビーチリゾートのようなサンフェリーペにたどり着いた時、ガソリンスタンドに併設されたOXXOというコンビニに逃げ込み、冷たい飲み物と、エアコンの効いた部屋でジャケットもパンツも脱ぎ捨てたい気分になった。

 なんたる暑さ。2011年、夜のサンフェリーペの思いでは、冷えた空気に震えていたのに……。11月とは大違いなのだ。まるで真夏の最高気温更新と不快指数マックスを同時に体験したようで、頭の中(体も)オーバーヒート寸前。20分ほどしてOXXOの外に出てみたが、迷わず店内にUターン。さらに20分程クールダウン。アフリカツインが止まっている場所でジャケットに袖を通した時、熱い風呂に飛び込んだ時のように鳥肌がたった。
 
 短パン、Tシャツ、ノーヘルという出で立ちで町を走るATV。サンフェリーペはビーチリゾートであり、カリフォルニア湾に注ぐコロラド川の影響で、砂丘もある。そこでは車高を上げた4WDがヒルクライムに興じている。サンドツアーもあるようだ。何処かバハのプリミティブな乾いた風景を見てきた僕には、リゾートアクティビティーがどこかリアルに思えなかった。

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 サンフェリーペの町を出て数分。風景は再び乾いた砂の広がりと、赤茶けた岩山が遠くに見えるものへと戻った。道は一直線。何処までも平らな土地を延々と進む。50kmほど進むと3号線とのT字路がある。3号線を左に折れ、ボレゴやマイクス・スカイ・ランチョへの入り口を通り、一山越えればエンセナダだ(といっても後200kmあるけど)。でも待てよ。
 バハ1000用語では、このT字路手前にあるカフェをトレス・ポソスと呼ぶ。給油できるガソリンスタンドもある。意味はこの店の外に立っている3本の電柱、英語ではスリー・ポール・ペメックスなどと書かれていた。

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 このカフェ、2011年のバハ1000のプレランの時、サポートと待ち合わせをした懐かしい場所だ。暑いのをガマンしてサンフェリーペから着た。簡単なランチを摂ろう。そう思ったのだが「今日はソーダと珈琲だけ」と店の主人。珈琲といっても、お湯とネスカフェだ。粉ミルクも出してくれる。自分で造ってね、と。バハに初めて来たとき、ネスカフェ・カフェに驚いたが、中米各国を回ったとき、意外にこれが多く、ちゃんと地図にカフェとネスカフェ・カフェと分けて記載したら旅する人は過度の期待を掛けないですむね、と思った。

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 でも、お洒落なカフェを紹介する記事より、この地を旅して気温やら距離やら長旅のあれこれに晒されて飲むネスカフェこそ、旅の醍醐味かもしれない、と今は思っている……。
 そんなネスカフェ・カフェであるトレス・ポソス(これは正式な店名ではありませんよ)で地図を広げ(結局、2000年のバハ2000の時に使った地図を今回は参考にした)思案する。このまま5号線をまっすぐ上がれば、140kmで国境の町、メヒカリだ。メキシコとカリフォルニア。それを半分とってメキシカリ、スペイン語で発音するとメヒカリとなる。その町のアメリカ側にはカリフォルニアとメキシコを取ったキャリキシコという町がある。

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 先週、ルート66の旅へと向かう途中通ったルートだが、そっちだね。そっちだ。ティファナからサンディエゴへと向かうボーダーはいつも大渋滞。国境の列に並んで早くて1時間、待てば2時間以上……。この太陽の下、考えるだけでもぞっとする。
 
 濃いめのネスカフェが口にも胃にも苦いパンチをくれた。途中、岩の山、砂丘群を抜け、アフリカツインはヘッチャラな顔をして走り続ける。バハともしばしお別れか、そう思うと少し寂しいが、レース以外で「行けば行けるんだ」を体感した今、行くか行かないかは自分次第ね、と聞いたことがある台詞が頭の中で回る。メヒカリの町、少しだけ今まで見たバハの町並とは違う家屋の色使い、郊外から町へと入る時に見た大きな農場等々、発見もあった。
 
 殺伐とした国境の空気はティファナよりはるかにうすい。クルマの列に並んでいると、みんなが「バイクのラインがあるぞ」と教えてくれる。国境通過待ちをするクルマの列を追い越し、バイク用の国境ブースに辿りつく。女性の係官が「何処までいったの? カタビニャ? いいところね。で、USにはいつまでいるの? あと3日? 急いでいるのね。あなた、問題よ。スタンプがありすぎてどれが今回のものか解らないわ(笑)」
 
 「問題よ」にはびっくりしたが、来年切れる10年パスポートに押された出入国のスタンプは確かに多い。突き返されて僕も探したが「ほんとだね、解らない」と返したら、ブースのテーブルでドスンと大きな音を立ててスタンプを押してくれた。問題ないじゃん。こうしてアフリカツインでのバハの旅は終わった。夕方のキャリキシコは夕焼け空とは裏腹に暑かった。ねっとりした空気と高い建てものがない家並み。ルート66への旅を思い出させた。
 結局、LAに戻れば3700kmちょっとをアフリカツンで旅した計算になる。さすがにお尻も痛いが、体はようやく長旅にこなれてきたところだ。大陸縦断、大陸一周、そんなスケールもこの10倍も走ればイケるのか……。新しい物差しを僕の中にアフリカツインは造ってくれた。あと少し(といっても300kmは優にあるけれど)。旅はまた続く。(おわり)

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●番外編・ビハインドストーリー
  故・戸井十月さんをバハに連れて行く。

 今回、アフリカツインでバハへ行った。一緒に回ったのはフォトグラファー、渕本智信さん。駆け出し時代から僕を知る先輩であり、渕本さんとは1987年に初めてバハ1000に参戦取材をしたときから3年連続バハへと出かけた。
 そしてカメラカーとして活躍してくれたホンダMDXを同じく3500km運転しつつ、動画を撮ったのは宮崎雄司さん。彼も1991年からバハ通いを始めた一人。1992年、1998年、2000年、2011年には一緒にレースをした仲だ。
 そもそも彼との出会いは『風の国』という映画の吹き替えライダーのオーディションだった(大袈裟にいえば)。1989年から1990年の夏に掛けて撮影されたこの映画で、彼は梅宮辰夫さんの吹き替えで、体に布団を巻いてジャケットを着込み、バイクを走らせた。ちなみに僕は宇梶剛士さんの吹き替えで、付け毛を付け、モトクロッサーを改造したエンデューロバイクを走らせた。
 その映画の監督をしたのが戸井十月さんだった。僕が戸井さんに初めて会ったのは1985年の晩秋。それ以来、バイクのことで何度も戸井さんとは出かける事になった。バハ1000もそうだったし、戸井さんが1997年から2009年まで掛けて行った“五大陸走破”の旅も一部同道した。ちなみに、宮崎さんはその五大陸全てに参加、戸井さんと旅をした。
 申し遅れたが、渕本さんと僕は1995年、モンゴルのラリーに戸井さんと参戦。戸井さんは、それを番組にした。

 戸井さんは2009年、五大陸走破の旅を終え、ホッとするのもつかの間、肺がんが見つかる。その治療を続けるなか、2011年には再びバハ1000への挑戦をした。しかし……。
 2013年、7月28日。戸井さんは旅発った。
 
「バハに戸井さんと一緒に行きたいね」──それは2011年のレースでもかなったし、その翌年も行く予定だった。が、2012年のレースへの参戦はかなわなかった。そこで止まった自分達の中の時計とも時間とも違う大きなもの、それを動かさないとイケナイね、そんな話を宮崎と僕は時々していた。で、今回、戸井さんを連れてバハに行った。そう、僕達の中では「バハ卓球事件」という伝説があるカタビニャへ(笑)。
 まったく偶然に見つけたオオカミ(コヨーテ)に似た岩。戸井十月さんのチーム名は「エル・コヨーテ」だ。僕達はその岩を「コヨーテ・ロック」と名付け、そこに戸井さんの遺骨を撒いた。
 その様子は動画をご覧下さい(※遺骨が出て来ますのでご注意下さい)。戸井さん、ゴメンナサイ! 遺骨を工具で砕きました。でも、バイク乗りらしくていいでしょ? 
 戸井十月さんは、風に乗ってバハの荒野に帰って行った。
 また来ます──そんな約束を岩とカクタスと砂の場所、カタビニャにして、何処か僕達は晴れた気持ちになった。寂しいけど仕方ない。やっぱりバハが好きだ、というのも解った。なので、バハ、また行きます。
 
 今回、バハ行には不思議な偶然があった。2011年のレースの時(その模様はこちらで→ )、プレラン中、戸井さんはガレ場で転倒、怪我をした。サポート隊と合流する場所までまだ100km手前。どうする? となった。その時、助けてくれたのがライアン・デューデックだった。彼とは2008年、チュニジアで会っていて、「今度バハ行くからね」とメッセージを送っておいたのだが、まさか、その彼と、怪我した戸井さんをバイクの後ろに乗せてルートを逆走している時にすれ違うとは……。
 で、彼のサポートチームが戸井さんを車でボレゴというプレランの終点まで連れて行くから、オマエはそのままプレランを続けなさい、と。砂漠の情け。有り難い。この下りが実はサンフェリーペの夜に繋がるのだが……。
 そのライアンと取材用のアフリカツインを借り出したアメリカンホンダでばったり再会。彼は今、サイクルワールド誌のオフロードエディターから転身してアメリカンホンダのテストライダーをしている、と。こんな偶然あるんですか!パート2である。

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 五大陸走破の旅で戸井さんが走らせたアフリカツインは10万km近くを走っている。北米大陸、南米大陸、そしてユーラシア大陸を走ったバイクだ。その都度カラーリングを変えたが、中身は一緒。アフリカツインはさすがだ。メンテをすれば何の問題もなく大陸規模の旅をこなす。新しいアフリカツインはどうなんだ? たった3500kmじゃ解らないけど、3500kmは「たった」で片付けられるほどの距離だった。取材車として走ったMDXも快適だった(そうだ)。バハの道に分け入る機動力。さすが四駆。ジープやランクル、Gシリーズやランドローバーほどの走破性はないが、今回の旅には持ってこい。何度も「エアコン効いたクルマと代わってくれ」と喉まで出かかった。渕本さんも宮崎さんも「アフリカツイン乗りたかったのに」とは取材後の言い分。
 
 最後に、今回の取材をサポートしてくれたホンダモーターサイクルジャパン、ホンダ広報部、アメリカンホンダのPR担当の皆さんに心より感謝します。アフリカツイン旅・パート2は、是非、皆さんご自身の手で描いて見て下さい。最高ですよ。保証します(笑)。

 ※ウエア協力:SPIDI:



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