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ホンダモーターサイクルジャパン
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鉄路、道路、暮らし。
あと3日、この町にいたい……。

 2日目の朝、まずはガソリンを入れに行く。アフリカツインの18リットル入りタンクなら今入れなくても大丈夫そうにも思えるが、“半分減ったら入れられるタイミングで入れておけ”は鉄則。先の選択肢がチョイスできるし、何より不安が減る。
 金属製の燃料タンクは、給油直後しばらくは足からひんやりした感触が伝わる。先払いのセルフ給油。スタンドの事務所の中はエアコンで冷えている。太陽はすでにやる気をみなぎらせ、気温を上げ始めた。今日も暑い。覚悟を決める。アフリカツインをフラッグスタッフの駅に向けて走らせた。

 フラッグスタッフのダウンタウンは整然とレトロムードの建物が並ぶ。綺麗だ。宿から駅まで1マイルほどのダウンタウン。そこと駅をはさんで反対側は住宅地と、小じゃれたカフェ、ショップ、バーが点在していた。地ビールを出す店も多いとかで、角を曲がると醸造所が放つビールの匂いが朝から誘う。
 
 駅前にバイクを駐めた。駅舎が小さいこと。長い列車はどうするのか、と思ったら、こちらはホームがレールの高さとさほど代わらず、プラットホームそのものがなかった。踏み台を置いて乗り込む映画で見たそのままの世界なのだ。長距離列車を想像してみた。どんな旅なんだろう。
 朝から長い貨物列車が往来する。コンテナ上下2段積み、見た目が大きい。何両繋げば気が済むの? というほど長い列車だ。警笛の音もテレビで聞いた不思議な和音の例のヤツだ。
 
 町を回ってみる。駅東側の踏切から町に入る。一方通行の道をワンブロック走るだけでこの町の雰囲気が解る。一つめの信号の角には煉瓦色の建物が向かい合う。その一つがホテル・モンテ・ビスタだ。4階建ての建物は、この町ではとても大きい。角部屋のスイートルームなんてきっと雰囲気たっぷりなんだろうなぁ。
 昨日見た町の“歴史攻め”に会うようなものではなく、新陳代謝しながらも歴史が続いているような印象だ。スーパーマーケットや銀行、クルマのディーラーがあったりもする。
 
 グランドキャニオンへのベースにする人も多いだろうし、そこまで行かなくてもトレッキングできる山も近い。東西を結ぶルート66と、南北に伸びる森林をゆく道、その交差点がこの町でもある。アウトドアショップもいくつかある、という。時間を掛けて見たいな、と、ぶらつくほどに思う。
 
 フラッグスタッフにそこはかとない想いを残し、走り出す。

 
ウイリアムズとセリングマン、
二つの町で見たちょっとした違い。

 インターステイツ40号でウイリアムズに向かう。フラッグスタッフから30分。出口で一般道に降りると道は、森の中を往く。やがて町の入り口にある鉄製のアーチゲートをくぐる。ウイリアムズだ。少し下った先にある目抜き通りは片側一方通行で、往路と復路が家並みで別れている。
 ウイリアムズの駅からはグランドキャニオンへの鉄道が出るなど、この町は賑やかだ。あちこちに古いクルマが置かれているが、ポンコツ感は少なく、旨い演出でもある。ギフトショップ、古風なステーキレストランなどが軒を並べる町並は、歴史が醸し出す風景、という感じだ。朝だったこともあり、通りを行き交うクルマも多く、活気がある。道に沿ってある駅からはグランドキャニオンへの客車が出発するところだった。ヒョ~という和音を奏でる警笛が長い尾を引いて町に響いた。
 
 インターステイツからこんなに近くにこんな町がある。むしろ不思議な気がする。この町は呼吸を続け生命感に溢れているように思えた。
 

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 ふたたび移動し、セリングマンへ。ここもオールド・ルート66の看板が誘う町だ。映画『CARS』のモデルとなったと思しきクルマ達が目の前に飾られたギフトショップは、2台の大型観光バスに隠れていたからだ。

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 セリングマンの町は確かに歴史を感じさせた。インターステイツが完成し、町が消えた歴史だ。『CARS』の中で描かれたラジエタースプリングス同様の運命だったのだろうか。町を愛し、そこに暮らす登場人物(クルマだけど)のように、ここで踏ん張る人達が暮らすのだろう。奥にある住宅地にはちゃんと暮らしの気配があった。表通りだけ見ると、ギフトショップと、その前に無造作に置かれた古いクルマ(しかもポンコツ)に時代を代弁させようとしているようにも見える。今の生々しさがドスンと伝わってこなかったのはちょっと寂しかった。
 この場所もルート66を復興させる原動力の一つには間違い無い。太陽の熱をジリジリと首筋に感じながら、そんなことを考えていた。

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そしてキングマンへ。

 キングマンへ。途中、一軒だけのガソリンスタンドで給油をしていたら、ドイツからキャンピングカーを持ち込んで旅をする夫婦と出会う。お互い、旅の安全を、と握手をした。短いながらも充実した時を感じた。

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 キングマン、この町は大きい。ルート66という古典だけでは語れないサイズ感があった。道端にある大きな給水タンクにルート66のお馴染みのサインが描かれている。高いタワーの上に載せられた巨大な桶のような給水タンク。その背景の空の対比がなんとも良かった。一瞬の視覚なのだけれど……。
 その写真を撮ろうと道端のカーショップの前にアフリカツインを駐めた。空の色を跳ね返したようなビートルとバギーが並んでいた。アリゾナの砂漠で遊ぶのだろうか。

 バイクに戻るとアフリカツインを興味深げに眺める人が。
「BMWに乗っているんだ。どうだい? このバイクは?」
 矢継ぎ早に質問をされた。そして跨がらせてくれ、と。日本ではそこまでアグレッシブにはこない場面だが、こちらでは普通のようだ。音を聞かせてくれ、おお! いい音だ。 一瞬、そのまま走り出すのか? とも思ったが、サスペンションはどうだ? 乗り心地はどうだ? スクリーンはこんなに小さいが、大丈夫か? 燃費は? 等々、関心を集めているのが解る。DCTかい? 好評なのは雑誌で読んだよ。
 そんなバイク乗り同士の会話が5分程度。この話題に国境はない。

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 キングマンを抜け、オートマンへと向かう。キングマン郊外から道は数分の間、赤茶けた乾いた渓谷を縫うように走った。時折線路が並び、そして離れる。場所に寄っては日本によくあるワインディングのようだ。フリーウエイと寄り沿うように進む。5マイルほど進んだところでフリーウエイをくぐり、オートマンに向かう一直線の道に折れる。砂漠の中を行く道の両側には、民家が点在する。金網で土地を囲んでいるのは動物除けだろうか。どの家にも多かれ少なかれ使わなくなったジャンクが庭(というより敷地)に点在する。
 それから15マイルほど。道はどんどん荒野の中へと入って行く。灰色のアスファルトはヒビ割れ、路肩は砂で“柔らかい注意”という標識が立つ。所々、砂漠に斜めに進む道がある。地平へと伸びるその道はアフリカツインで走る僕を誘惑する。行ってみろ、この先にとんでもない風景があるぞ、と。
 
 ほっぺたを叩いてでも誘惑に打ち勝たないと、とてもじゃないが今日中にニードルズにたどり着けそうにない。また来ます──、それを言い訳に道を進む。

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 遠くに見えていた山々が迫ってくる。その頃、道端にあるクール・スプリングス・キャビンにたどり着いた。道路沿いのアイコンでもあるこの場所は「みたことある!」という風景かもしれない。しかし、実際この場に立つと、この場所が大切な中継地点であることが解る。平地と山岳地の入り口。そこに立つ茶屋でありかつては宿だったのだろう。
 この先、オートマンまでの道は山岳路。どこまでもまっすぐな道ばかり走って来た身には、いわゆる酷道の旅にすら思える程くねくね道が続いた。だからここで一息入れたのは正解だった。 
 やあ、ようこそ。ゆっくりしていってくれ。店の人は気さくだ。昔の建物は映画の爆発シーンで吹っ飛ばされて、今のは以前と同様の新しい建物なんだ……、と。説明してくれた。
 しかも昨年からの工事で、舗装も路面に書かれたルート66のマークも新しいという。
 
 お土産屋だが、往年の姿でここにある、ということが大切なのだろう。
 ここの夕暮れの空はどうだろう。見てみたいところだ。急ぎ旅をすると「また来なきゃ」という理由がいくらでも見つかる。リアルに今、この道を辿りながらも、行っただけだね、と思う。ここが秋だったら、そんな想いを感じつつも、ジャケットに袖を通すと太陽の暑さから逃れるべく、走行風の中に逃げ込むほかない。太陽も旅人をせき立てる。

 
オートマンへの道。
オートマンからの道。

 クール・スプリングス・キャビンから走り出すと、道は標識にあったとおり“狭い屈曲路”が続く。峠に向けて登りが続き、山肌にへばりつくようにそれが続く。連続するカーブの一つから振り返ると、眺め下ろすように今来た道が延びていた。その先、はるかに延びる直線部分までがチラリと見える。
 こんなワインディングもまさにアフリカツインが得意とする道だ。DCTだからシフト操作のことを任せ、ライン取りとブレーキングをすることに集中する。そしてじっくりと景色を堪能することに気持ちの余裕を振り向けられる。途中、標高1000メートルと少しの峠を越えた。そこからオートマンへの下りは、センターラインこそあるが、岩肌が両側から迫りクルマが2台すれ違うのが難しい場所も点在した。これでは大型トレーラーは通れまい。箱根でも無いぞ、こんな狭い場所、という印象で、この山岳路もルート66がインターステイツに取って代わられる理由だったのかもしれない、とふと思った。

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 加速、減速、旋回。久々にバイクの三拍子を楽しみ、赤茶けた岩とグレーの岩が点在する中を下って行く。オートマンはかつて1万人ほどが暮らした町だという。今は観光地的ギフトショップが並ぶ小さな町だ。ルート66の歴史を彩るロードサイドアクティビティーなんて言ったら叱られそうだけど、到着した夕方、人気の引いたこの町からは「早く帰らないと」というなんだかオバケでもでそうな不思議なオーラを感じた。
 観光用のロバが数頭、一軒の土産物屋の中に入ろうとして、女主人が追い出しつつ、素直なロバにはほおずりしたり、まるでコメディードラマの一場面を見ているようだ。なんだ、ここ? 目抜き通りがロバの匂いで充満しているのもまた不思議だったけど。

 一本道。だけどあちこち寄り道しているような気分で走るルート66。気が付けばもう午後6時を過ぎている。この時期、9時ぐらいまで夕方のような残照があるが、先を急がねば。今日はアリゾナの州境を越えカリフォルニアのニードルズに泊まる予定だ。そういえば、初日にオーシャンサイドのレストエリアで出会った男が、「オートマンへの道は良いですよ」と話していた。てっきり峠道のことかと思っていたが、オートマンからニードルズへと走る道も最高の“荒野の道”だった。

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 地形に合わせて道が伸び、高い丘を避け、大きなS字を描きながら続く。砂、岩、サボテンが土地を分け合い、縁取りのように岩山が囲む。丘を越える道は、その先が右なのか、左なのか、それとも直進しているのか、解らない。そのスリリングな感触と、越えた先の風景への期待感が想像力を刺激する。
 細い峠道、ジェットコースターのような道。こんなに広大な風景の中で、空から見れば一本の筋程度の“道”に固執して右だ、左だと走る自分。
 ただ、この荒野ではその中を辿ること。それが大切なサバイバル術でもある。道を外れて岩に何かをヒットして壊れたら……。夕方になっても太陽熱に炙られ続けた地べたから放出される熱でオーブンのようだ。
 
 コロラド川を渡って州を跨ぐ。程なくニードルズの町だ。明日の分のガソリンを入れ、今夜の飲み物を買った。暑い。まるで風呂場のような温度と湿度。明日もこうなのだろうか。

 
アンボーイでサヨナラを。
空、道への思いは止まらない。

 モーテルではアメリカ東部からツーリングに来た親子が一緒だった。父がスーパーテネレ、息子はK1300GT。てっきり逆かと思ったら見た目40代の父親は「俺がオヤジ。スーパーテネレさ。息子はBMW」という。なるほど、オヤジがアフリカツインに興味津々なわけだ。速いか、DCTはどうだ、良いのか、等々、質問攻めのお返しをして別れた。
 
 その夜、道を隔てたデニーズで夕食を摂った。コオロギが鳴く夜道、そこを一本渡るだけで再び汗がしたたり落ちる。
 ミートボールスパゲッティを注文した。どこか邪道なパスタ、と思っていたが、酸味のあるトマトソースと、適度にスパイスの効いたミートボールが疲れた体にちょうど良い。アルデンテがどうした! という茹であがりだが、なんの気兼ねもない自宅の夕食のようで旨かった。
 勧められるままにレモネードをデカイグラスでオカワリし、エアコンの冷えた空気でようやく体が常温に戻りつつあるような気がした。この数日ですっかり熱ダレしている自分がいる。
 
 翌朝、東部からきたツーリング親子はすでに出発していた。彼らの移動距離に比較すると、今回、自分のツーリングは東海道で言えば東京~箱根の気分だったが、彼らのと比べると、せいぜい東京~横浜各駅停車の旅、という距離感程度かも、と思った。彼らは朝、涼しいうちに距離を稼ぐのだろう。
 
 ニードルズからしばらくインターステイツで移動し、ルート66へ。日中に比べ、どこか朝露の匂いが残る砂漠の中をルート66が延びる。この道は今日も砂漠の中だ。この手の景色に興味が無ければ、単なる殺風景な土地を行く退屈な道かもしれない。
 途中から道は直線になった。ドライレイクのような平らな場所だ。何処まで続くのだろう。丘を登ったところまで直線なのは見えるが、そこまでトリップメーターで計りながら走ると、10マイルぐらいだった。その丘を越えると、その先も次の丘までまた直線だ。今度も9マイルぐらいあった。ところどころ路面は上下にうねるが、延々まっすぐだ。

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 今回、ルート66の旅の終着点はこの先にあるアンボーイだ。このまま西海岸、サンタモニカ・ピアまで、とも考えたが、走破する旅ではそもそもないので、そこで別れる事に決めていた。
 
 このアンボーイだって何がある、というわけではない。小学校の跡と、今はやっていないモーテル、そのサインが立っているだけだ。太陽を受けて空に聳えるサインは、三叉路になったアンボーイのランドマークだったのだろう。
 
 残るモーテルの建物のなかではアートエクシビションのような展示物があり、モーテル敷地の奥ではフランス語を話す一団があちこちリノベーションをしているようだった。一戸ごとに異なるものが展示されている。ドアは外れ、窓が割れたままの部屋もある。夜にでも忍び込んだ旅人が使われていないトイレで用を足したせいか、けっこうな異臭を放つ「おいおい」な部屋もある。
 
 アフリカツインでここに来て、ここから出発するまで30分もいただろうか。その間、通る車の多くがこの場所に寄り、記念撮影を済ませ、そして立ち去った。鱗雲がたなびく青い空。白い太陽が眩しい。生活臭が消えたこの場所は、それでもルート66の歴史の証人なのだろう。
 
 アンボーイでルート66を離れ、アンボーイロードでトゥエンティーナインパームズを目指す。この道もルート66に負けず劣らずの道だった。ドライレイクを抜け、その縁の低い山地を抜け、砂の路肩が延々と続く。その50マイルの間、人の暮らしを垣間見える場所も通る。どうしてここで暮らすのだろう?もっと便利な快適な場所もあるだろう。ここまで凶暴な暑さ(8月なんてもっとだろう)に耐えなくても……。

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 それは大きなお世話だ。パームズの町で飲み物を仕入れようと入ったスーパーはアジア系の人が経営しているようだ。その隣にはメキシコ料理をテイクアウトできる店がある。その店には常連が集まっている。今日は休日か? 大きな学校もあるし、消防署もあった。普通の町として無いものが無い。
 
 それから200マイルほど走ってLAに戻るまで、道、町、人、クルマが当たり前のようにあり、デジャブか? というほど、似た風景に見える町が続いた。インターステイツが渋滞していれば他の道にエスケープし、出口を降りると、またもや似たようなガソリンスタンドとスーパー、広い道、信号のある交差点、芝の緑や背の高い並木が続く。

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 ルート66を走って来たせいか、見慣れたアメリカの市街地がどれも同じに見える。その点で、ルート66の道、風景は個性的だ。荒野ながら、何処でも同じ、という感覚がない。むしろ、芝生の庭に白いコンクリートのドライブウエイがある家、というのがどこか不自然にすら見える。きっと、ここも昔は荒野だったはずだからだ。
 今回のルート66で、かつての往来を感じるまでには至らなかった。スタインベックが描いた「怒りの葡萄」の中にあるトム・ジョードが辿った道や、その背景に想いを寄せるのは難しかった。干ばつやトラクターの登場で、小作人達は仕事を失い、いつでもブドウやオレンジが食べられるカリフォルニアに行こう、仕事もある、という想いからこの道を辿る。でも結局、そこに黄金郷はなかったのだ。そんな憂き目にあった人達も僕達は十把一絡げに「開拓者達」と呼んでいたのかもしれない。この小説が描かれた時代からすると「開拓者」はそのさらに昔の人達なのは承知のうえなのだが……。
 しかし今もこの道が築いた歴史を誇りに思っている人達、道と国の関連のようなものを感じとることはできた。オールドルートを走る中で体験したダートの道など、旅する道としてはこの道は相当過酷だったに違いない。西部劇の撮影が今日から始められるほど、手つかずの荒野がそこにはあったからだ。そこを貫くようにドカンと敷かれたアスファルトの上をスイスイ来た自分は、先人の苦労の上に完成した移動の安楽を享受したんだ。
 
 ただ、体温だけではなく、視覚がそうとう刺激された。岩、山、サボテン……。LAへの快適な道を300キロ以上移動する間、このまままっすぐ帰っても(家に)いいのだろうか? とアフリカツインが問いかけてくる。悪路も走れる、というのに、このまま帰るつもりじゃないよね? と。
(バハ編へ続く)
 

 ※ウエア協力:SPIDI:



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